日曜日に、名古屋市の某所にてちょいとした勉強会のようなものがあった。文学者の加藤博子先生を講師にお招きし「呉智英の著作を改めて精読する」と題した講義を受けたのだ。
今回、取り上げた著作は『封建主義者かく語りき』(史輝出版)だった。この本は1981年に「情報センター出版局」より刊行されている。な、なんと、42年前のことである。昭和55年ですぞ!ソ連がアフガニスタンに侵攻し、西側諸国がモスクワ五輪を総ボイコットした。巨人軍の主砲王貞治さんが引退のもこの年。ジョン・レノンが射殺されたのも1981年だった。あれから厄の年数が過ぎている。しかし、呉智英さんの発言はまったく色あせていない。むしろ現在の民主主義の混乱を予見していたようで、実に奥深いのである。
最近の若い者(と言っても昭和50年代の若者)が遺書に「先立つ不幸」という誤用していることに、「ダメ民主主義のニオイが感じられる」と言われる。そして、
《規制の規範から逃れようとした者が、実は、最もみっともないかたちで規範主義者になるという民主主義=ファシズム=スターリニズムの構造がよく現れているのだ》
という呉さんの指摘につながる。
当時の若い自殺者が「先立つ不幸」と書いたんでしょうね。だけど彼は「既成の社会、学校、家庭、人間関係に抗議をして自殺しようとする」のだけれど、死の直前になって「先立つフコー」という過去の規範というか定番の言い回しを使ってしまう。さらにそれを誤用してしまった。呉さんは過去の規範を間違って使ってしまった間抜けな若者に、現在(当時は昭和50年代)の規範誤用の「民主主義」、延いては民主主義が産み落とす「ファシズム」、さらにはファシズムの鬼胎の「スターリニズム」の構造を見ていたのである。
さらに加藤先生の講義は続く。学生時代にこれくらいまじめに授業を受けていれば、ワシャもいっぱしのものになっていたのかもしれないが、ずっと遊んでいたのから、呉塾の面々の中でももっともバカな弟子になってしもうた(笑)。
でも、この間は真面目に加藤先生の話を聴いていた。
呉さんは問う。「昭和20年8月は、『終戦』が『敗戦』か?」
ワシャは断じて『終戦』派であり、サヨク界隈では『敗戦』を主張している。これにも呉さんは明確に答えを導き出す。
《民衆が侵略戦争に「駆り出された」とするならば、民衆にとっては、殺し殺されることがなくなった。つまり「終戦」なのである。民衆にとって、戦争の規模が大きくなればなるほど、戦争は自然の災厄とまったく同じなのだ。》
冒頭の「侵略戦争」という言い方についても、呉さんはその前段で「バクチ」に例えて説明されており、「終戦」の正しさはさらに補強されている。政治、民主主義を騙る者ども、フランスなど行っている場合ではない。渡航費で『封建主義者かく語りき』を購入して熟読せよ。ワシャの手持ちの一冊を渡航費用の300万円で譲ってあげてもいい(笑)。
それにしても呉さんがこの本を上梓された年齢が35歳くらいである。すごいよなぁ、本物の思想家、君子である教養人、本格的読書人、ワシャら凡夫とはエベレストと東京港区の愛宕山ほどの差がある。その愛宕山でも標高27mほどあるのだが、永田町は11mしかない。このレベルの低さは如何ばかりであろうか(泣)。
呉さんは、別章で民主主義の特徴として「二重の抑圧構造」を挙げている。「養老院」を例にして、「高校生の指人形」、「売れない芸人の浪花節」、「三流大学の無能教授の生きがい論」など「シルバー教養大学」、「シルバー講座」と呼称する詰まらぬものに半強制的に参加させられるのは「本当にゴメンだ」と言っておられる。こういった望まぬものへの反強制を呉さんはこう斬っている。
《あたかも、ほのぼのと強姦されるようなことに、私は耐えられない。しかも、この凌辱を拒否すれば、強者からは虐げられ、強者と通じる弱者からは裏切り者とされるのだ。この二重構造こそ、民主主義地獄の特徴なのであり、ファシズムやスターリニズムで極限に達する。》
「ほのぼのと強姦」
おもしろい言い方ですね。ワシャの近所でも、公金を使って、ジジイババアを集めて、チイチイパッパをやっている。ワシャもスタッフとして参加していたが、あまりのくだらなさにゲロを吐きそうになって、フェイドアウトをしてしまった。グループの幹部からは「バカだタワケだ」と罵られながら、参加するジジババは白い目で見られている。でもね、「ほのぼのと強姦」されるのも嫌なので、さっさと去ってしまったのだ。
長くなっているが、ともかく民主主義のいかがわしさが令和の時代に入ってさらに香ばしくなってきた。民主主義に疑問を持ったら、何より先に『封建主義者かく語りき』を処方するに限る。
「民主主義を疑え!」
本の帯に大きく書いてあった。
加藤先生の講義で、久々に名著を読み直すことだできた。よかった。