言路洞開(げんろどうかい)

 昨日、読書会。課題図書は、前田勉『江戸の読書会』(平凡社ライブラリー)。文庫なのだが450ぺージもある。最初にパセリ君からこの本の提案を受けたとき、「読書会受けを狙ったあざとい本」ではないかと疑ったものだ。これね。

 なんで3冊もあるかと言うと、まぁその複雑な事情については後程ご披露します。とりあえずは本の内容から。

 著者は「会読」というものに注目する。「会読」とはいわゆる「読書会」のことと思ってもらっていい。定期的に集まって、メンバーがあらかじめ決めておいた書籍を、討論しながら読み合う共同読書のことである。ワシャもその程度に理解しつつ読み始めた。最初は「読書会の歴史を紐解いた読書会案内のようなもの」くらいに思っていたのである。

 まず目次から見ていこう。大きく6つに章立てされている。

第1章 会読の形態と原理

第2章 会読の創始

第3章 蘭学国学

第4章 藩校と私塾

第5章 会読の変貌

第6章 会読の終焉

 その第1章では、江戸時代は『論語』、『孟子』などの堅苦しい儒学経書をよむこと、読書することが学問を修めるということだった。これを武士どころか町人や百姓まで熱心に読み、学問に励んだという国は日本以外にはない。幕末から明治にかけて、欧米から知識人が日本にやってくるが、その整然とした穏やかな国民性には誰もが驚いたのである。そりゃぁルートとして支那、朝鮮に立ち寄ってから来るのだから、その違いには腰を抜かすほどだった。

 著者はその違いを冒頭に言っている。日本では武士から百姓まで、教養をつけるための学問をした。学問をしたからといって将来の栄達が保証されているわけでもない。

 かたや支那、朝鮮は科挙制度を持っているがために、儒学を学ぶことによって立身出世ができたのである。あるいは何を切ることで宦官になり、宮廷政治に参画するかで身を立てていくことができた。何は立たないけどね(失礼)。

 科挙による高級官僚についてこう書いてある。

科挙合格のための学問などは、暗記と文章を弄ぶ「記誦詞章」(『大学章句』序)の軽蔑すべき学問に過ぎなかった。》

 ここで著者は孔子の弟子の顔淵を引き合いに出して《人に知られるためではなく、「己の為めにする」(『論語』憲問篇)学問こそが(中略)道学者の追い求めるべきもの》と言う。

 ところが大陸の影響を受けなかったというか、くだらない制度とか風習を切り捨てて良いものだけを吸収してきた日本は違っていた。

江戸幕府が、学問をすることを名誉や利益から動機づける科挙を実施なかった。》

 これが中華の影響をモロに受け続けたアジアにおいて、異例中の異例であることは論を俟たない。

 現在の日本と、支那・朝鮮との国情の差、国民性の差は、そもそもの儒学の学びようの違いあった。

《江戸時代、儒学をまあ何でも何の物質的利益もあるわけではなかった。しかし、逆説的だが、だからこそ、純粋に朱子学陽明学を学び、聖人を目指したともいえる。》

 すごいな、江戸期の日本人。

 ちょっと先を急ぎますね。この後、福沢諭吉福翁自伝』を取り上げているのだが、「門閥制度」の中での読書会が「上士も下士ない」実力勝負の場だったという。それが全国の諸藩で実施されていた。例えば大藩の水戸、福井、佐賀を始めとした各藩校、そして松下村塾適塾などの私塾、さらにはそれぞれの郷村にあった寺子屋などが、名誉とか利益などを目指さない学問を実践してきた。これが日本の強みである。

 

 第2章 会読の創始にはいると、のっけから伊藤仁斎荻生徂徠、室鳩巣など歴史の教科書でおなじみの儒学者たちが登場する。彼らもまた会読(読書会)を奨励し、日本人の教養レベルの向上に大きく寄与している。彼らが尊重した会読の原理は「相互コミュニケーション性」、「対等性」、「結社性」ということであり、幕末に福井藩主の松平春嶽が日本の国論の中心に立てたのは、この会読のおかげだった。低い身分でお目見えさえままならない横井小南や橋本佐内が、福井藩主に直接対等な立場で意見をするという尋常ならざる会読をしたからである。

 これがタイトルに掲げた「言路洞開(げんろどうかい)」というもの。この言葉については司馬遼太郎さんが『歴史の中の日本』でこう言っている。

文久元年、二年というのは桜田のショックもあり、》桜田門外の変ですね。

《幕府の威信が地におちたどんぞこの時期で、しかも幕府の当路者も、「言路洞開」という言葉をしきりにつかい、流行語のようになりはじめた。》

 ここからが用語の解説。

《世論を政治に反映するという身に出、たとえ過激者の意見でも政治当路の者はよく耳を傾けるということである。こらがために、雄藩の大名や幕府の老中に一介の他藩士や浪士が面会して大声で意見をのべるということがしばしば行われた。》

「言路洞開」についての司馬さんの話もおもしろいが、もう2000字を超えてしまったので、以降はまた項を変えて続けたい。

 とにかく読み応えのある一冊だった。なんで写真に同じ本が3冊も写っているのかはまた明日のココロだ~。