犬公方

 最近、元禄時代の江戸に遊んでいる。さきは天和、貞享のころから、うしろは将軍吉宗が登場する前の宝永、正徳あたりだから、1680年から1715年の時期と思ってもらえればいい。
現在で考えれば「Dr.スランプ」アラレちゃんの連載が始まった年、あるいは熊本大学3年の宮崎美子が「いまのきみはピカピカに光って〜」の曲にのって浜辺でジーパンを脱いで水着になるCMがあったでしょ、あの時代から現在くらいまでの時代の長さだと思っていただければいい。
 でも、昭和、平成に比べると、あの時代のほうがはるかに時間が緩やかで寛かだったので、今の10分の1くらいも変化しなかったのではないか。
 ともかく元禄である。良きにつけ悪しきにつけ、元禄の顔は徳川綱吉であろう。どちらかと言わなくても「悪しき」が上回るうつけの独裁者だった。とにかく女癖の悪さは天下一品だったという。時代考証の第一人者である稲垣史生の『考証武家奇段』にはそのあたりの品性下劣さが書かれてある。
《女にかけてはだらしがなく、性(セックス)についての倫理観は爪の垢ほどもなかった。綱吉がまだ館林侯だったとき、お湯殿係の女中お伝に欲情を燃やし、浴槽で手ごめにし、妾とした。》
 綱吉の場合はこれだけにおさまらない。
 綱吉は生まれつき怜悧だった。そして幼いころから読書が好きだった。読書といっても、現在のように子供向けの絵本があるわけではないので、四書五経などを読みふけったのだろう。読書家=賢人ではないことは当然のことで、人によっては読書が害になる場合も往々にしてある。利口なバカほど危険なものはなく、綱吉の場合はまさにこれだった。それも独裁者であるだけに手におえない。
「家臣に勉強をさせる」として、儒学者に命じて、大名、旗本相手に講義をさせる。「家臣の家族にも勉強させる」として、大名、旗本の妻や娘を江戸城に集めて、やっぱり講義を聞かせる。そこで可愛いのがいれば、そのまま大奥にとどめて妾にしてしまうという傍若無人ぶりである。又者(大名の家来)から老中にまで登りつめた牧野成貞、あるいは150石の家禄から末は24万石まで登っていった柳沢吉保なども妻の果たした役割は大きい。
 牧野も柳沢も功なり遂げたわけだが、この二人も、さかりのついた犬のごとき綱吉の犠牲になったとも言えなくはない。