儒教国

 朝鮮日報のコラムに朝鮮王朝時代の官僚についての記述があった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160805-00001833-chosun-kr&pos=1
《権力者にこびへつらう者、外部の勢力に対し卑屈になる者、貪欲で素行の悪い者、義理を捨てた者…歴史家たちはこのような者たちを「犬豚」と呼んだ。》
 昔から彼の国の言葉はきつい。「外部勢力に卑屈になる者」というのは日本に理解を示す人々も含まれる。日本に協力した過去があると財産まで没収されるというから、やり方がおぞましい。おそらく日本人が「犬」で支那中国人が「豚」なんでしょう。これを言っているのが、《朝鮮王朝時代の史官は最高の教養を持つ人たちだった》そうな。この「最高の教養」という表現にも「犬豚」の裏返しの臭みを感じる。

 十八世紀の初頭の朝鮮である。申維翰(しんいかん)という科挙合格者がいた。彼は通信使として江戸日本にやって来て、驚く。そもそも儒学朱子学)というのは中華周辺の民族を蛮異とみなす。だから、申維翰は日本人を自分たちの同類の人間とは思わず、一段低いものと見ていた。江戸幕府の高官も含めて「人に似たる者がない」と言う。江戸や東海道で接した日本人を「犬」程度の生き物と思っていたんでしょうね(笑)。
 朝鮮官僚のように高度な学識(といっても「四書五経」を諳んじ詩作に秀でているだけのこと)を持つものからみれば、今の中学校レベルの教養しかもたない武士階級はバカにみえただろう。日本は、詩も作れない高官が政治を司っている。それに比べ朝鮮を動かしているのは科挙合格者の自分たちである。儒教的にいえば、朝鮮は日本より数段上等な文明国ということになる。事実、申維翰らはそう思っていた。
 思いは希望だったのかもしれない。形骸化した科挙制度で選抜されるエリートが、どれほど儒教国家を停滞させてきたかは、歴史を振り返ってみれば明白だ。そして冒頭のコラムも、その夜郎自大さは、申維翰から1mmも進化していないので興味深い。

 そんなことを踏まえて、兵頭二十八『「地政学」は殺傷力のある武器である。』(徳間書店)を読んだ。今、朝鮮半島支那中国などの儒教体制との間で、不愉快なことが多い。そのことが今後どう変化していくかを「地政学」をベースに置きつつ今後の予想を立てた好書であった。
 この本は読書会の仲間から薦められた本である。ワシャと同様に、東アジアに位置する日本の未来が心配な方には、ご一読をお薦めしたい。
 なるほど、こう考えて、こう対策を講じておけば、彼の儒教国家の影響を受けずに、日本の歴史、文化、民族性などを次の世代にしっかりと受け渡していけるかも知れないと思わせる著作だった。
 兵頭氏の本をもう少し読んでみるか。