山崎闇斎

 愛知県知立市の友達がSNSで、江戸期の儒学者山崎闇斎のことを問いかけていた。闇斎の「池鯉鮒」と題された七言絶句を見たそうで、闇斎と知立の関係を問うものだった。それを見つけてワシャはこう返した。

山崎闇斎京都市中を拠点として学術探求を行っていましたが、40代に入って江戸に遊学し、以降、何度も江戸に出講するために東海道を往復しています。その途上で知立神社にも立ち寄ったのでしょう」

 闇斎は「万世一系天皇を戴いていること」は誇るべきことだと主張していましたので、神武天皇を祭神とする池鯉鮒の霊社に思い入れが強かった。そんなことも付け加えておきました。

 しかし、皆さん、山崎闇斎って覚えていますか?

 高校の「日本史」では、江戸期の「儒学の興隆」のところで「朱子学の南学の系統」ということで「山崎闇斎」が紹介されている。ワシャの学んだ教科書は山川出版社のものであるが、そこには「朱子学者のなかには、日本の神道儒教流に解釈するものが多かったが、とくに闇斎は朱子学を用いて垂加神道を説いた」と説明されている。

 ワシャは、とくに教科書で記憶していたわけではなく、後年、歴史学者平泉澄先生の著作『少年日本史』(皇学館大学出版部)で知った。この本は、先生が愛する日本の少年に向けて書かれたものであるが、これが日本の歴史を学ぶ上では極めて優等なものである。これね。

http://shuppan.kogakkan-u.ac.jp/book/detail/225

 中年のワシャでもとても理解が進む。名著である。その中でね、信長、秀吉、家康などは1章しか割かれていないが、山崎闇斎は2章にわたって書かれている。三英傑よりも重要な人物とした平泉先生の思いが見える。

 この本にこんなエピソードが記してある。優秀な門人が闇斎に論語の「泰伯の章」について質問をした。

学徒「いろいろ説がありますが、どれが正しいのですか?」

闇斎「大切なところだ、集註を暗誦しているか?」

学「少しは覚えていますが、まだ不十分です」

闇「大全を見ると、誰それは朱子の解釈に反対であり、誰それは賛成である、それを一々覚えているか?」

学「いや覚えていません」

闇「通鑑前編に胡氏の論があるが、覚えているか?」

学「覚えていません」

闇「読書録にいくつかの説が載せてある、覚えているか?」

学「覚えていません」

闇「それでは話のしようがないではないか。もし本当にこのところを質問しようとするのであれば、これらの書物をよく調べ、一々それを分析して、どこに問題があるかを明らかにして、その上で持って来い」

 門人は畏れ入って退き、ひろく書物を調べ、朱子に賛同するものをまとめて一冊とし、反対する説を一冊にして、それを繰り返し読み込んで闇斎に再度質問をした。

闇「よしよし、それでこそ学問になるのだ、ここは極めて大切なところであるから、軽々しく説明するわけにはいかない。自分は先年「拘幽操」という本を出版させておいたから、それを求めて研究せよ」

 門人は「拘幽操」を熟読した上で、自分の考えを申し上げた。

闇「そうだ、よく分かったね」

 と答えて、丁寧な解説を加えてくださったという。

 

 この話は、リテラシーを深める重要なことを言っていると感じて、まだまだ理の上っ面しか嘗めることしかできないけれど、肝に銘じておこうと、若かりし頃に思ったものである。

 しかし、日暮れて道遠し・・・の心境ですな(笑)。