行司

 ワシャは好角家である。キャリアだけは長くて初代若乃花の土俵をじかに見ていたらしい。「らしい」というのはよく覚えていないんですね。その昔、祖父に連れられて、近くに巡業に来ていた大相撲を見に行って、若乃花に頭を撫でてもらったというのが、ワルシャワ家の伝説にあるんです。それ以来、相撲観戦を続けている。

 長~く土俵を見てきたので、いろいろと細かいことにも気が付くんですな。とくに力士とともに土俵に上がる行司については昔から注目をしてきた。

 ワシャが好きだったのが、28代の木村庄之助だった。初代若乃花と同い年で、昭和生まれ最初の立行司と言われた。

 小柄な行司さんなので、力士を引き立ててくれた。さほど大きくない力士でも28代庄之助と比べると大きく見えた。裁きもしっかりした人で、顔立ちは眉毛が太くて凛々しいのだが、知的な目元は優しかった。だが軍配を上げるときの引き締まった厳しい表情は今でも印象強く覚えている。なにしろ細身で格好のいい行司さんだった。教養もあり、相撲史についても詳しく、人格者でもあった。ハワイから来た曙に日本の文化伝統を丁寧に教えたことで、曙からは師と仰がれた。歴代行司の中でも名行司と言われたかたである。この人ですね。

 古い相撲の本から撮ったので、この写真では「二十五代 式守伊之助」となっていますが、この後に木村庄之助に上がっています。ワシャの大好きな行司さんでした。

 この25代の伊之助から下ること16代の記事がこれ。

《“まわし待った”から助っ人加わる珍しい光景に館内騒然 約2分40秒の中断に元若乃花「これ、あんまり見ないけどね」「行司さん一人が巻くのは大変」という声も》

https://news.yahoo.co.jp/articles/aa98c1bdc47d62abd2ad91880d76a97145ccdb894

 この41代目がなんともいただけない。中日(なかび)に翠富士‐霧島の取り組みで、まわし待ったをかけた。ところが伊之助は要領が悪く、一人ではどうにもできなかった。見るに見かねた呼び出しが土俵上に上がってきて、ほどけたまわしを締め直して土俵が再開された。

 今まで何度も「まわし待った」を見てきたが、通常は行司が単独で始末をつけて、再開するものだった。どん臭いというか・・・。

 以前にも、少し結び目がほどけたくらいで「待った」を掛けたことがある。それも、平幕の若元春が横綱照ノ富士を攻め込んで寄り切る直前に、伊之助が「まわし待った」を掛けた。放っておけば若元春の寄り切りで終わった話(というか「待った」で止まらず若元春が照ノ富士を寄り切った)。だが、なにをとち狂ったか照ノ富士が土俵を割る寸前、「待った」にしてしまった。

 普通はそんな流れの中で「待った」はかけない。両者の動きが止まったところで、「待った」をかけるものなのだが、この41代式守伊之助は動いているさなかに「待った」をかけた。勝負が動いている最中に、力士だって止まれるわけもなく、結局、動きの止めようがないので、行司の「待った」を有効にして、若元春の勝ちが取り消され、取り直しの結果、照ノ富士が勝って終わった。

 この行司、明らかにおかしい。平幕が横綱に辛勝するという名勝負をつまらない一番にしてしまった。この人、差し違いも多いし、力士の呼び上げも「貴景勝」を「たかけヒしょホ」、「大栄翔」を「だヒえヘしょホ」、「豊昇龍」を「ほホしょホりゅフ」と発声する。和田アキ子じゃねえんだから、もう少し活舌よくやってくれないかなぁ。それに加えて、姿勢も悪いし体形も肥えている。

 時間いっぱいで軍配を返すところでも、25代式守伊之助は、膝をぐっと曲げて姿勢を低くした。しかし、41代目は突っ立ったまま、軍配を返すだけ。

 一度、古いビデオでもなんでもいいですから28代木村庄之助(25代式守伊之助)の土俵を見ておくんなさいやし。とにかく格好いいですから。

 大相撲とはいえ観られてなんぼの興行なのですから、もう少し立行司に指導をしましょうよ。