名力士ゆく

 ワシャは年季の入った大相撲ファンで、初っ端は、地元の紡績工場が開催した地方場所で、当時の横綱である若乃花(初代)に頭をなでなでしてもらったことである。それから、大鵬柏戸の時代は祖父と一緒に白黒テレビで観戦し、北の湖、輪島の頃はカラーテレビだったなぁ。その頃に活躍していたのが、麒麟児だった。

《「花のニッパチ組」元関脇・麒麟児が死去 67歳》

https://news.yahoo.co.jp/articles/f0e28085a02a324002a13ca2ed3849cf6ab3054b

 麒麟児は優しい表情をもつ礼儀正しい力士だった。回転の速いツッパリを得意として、徹底した突き押し相撲の人で、勝っても負けても気持ちのいい土俵をつとめてくれた。

 昭和50年代の雑誌「相撲」(ベースボールマガジン社)が書庫に何冊もあるんだけど、今、その雑誌のグラビアを見ているのだが、あんこ型のバランスのいいお相撲さんだったなぁ。181.5㎝143㎏、最近だと少し小さめかもしれないが、当時は横綱大関と比べてもそん色はなかった。

 その頃は大相撲人気がすごくって、街角のガチャにも力士消しゴムがあったものだわさ。ワシャもいい年こいたニーチャンだったが、力士ガチャを見つけると、いそいそとやっていたものである。

 下の写真は、東方麒麟児、西方富士桜で、この二人の怒涛の突き押しの一番はいまだに伝説となっている。

 麒麟児さんのお冥福を祈ります。

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