ワシャの務めていた凸凹商事で、昨年度、クーデターが起きた。時の社長が20年も権力の座に座り続け、これをなんとか引きずり降ろそうと、社外役員が奔走したのである。
なにせ、なにもしない社長だったから、反面、ミスもあるわけはなく株主からは妙に人気があり、株主投票では圧倒的な人気を誇っていた。凸凹商事の多くの関係者は、このトップのいかがわしさに早くから気が付いていて、8年前、4年前にも対抗の社長候補を立て戦った。だが、まったく歯が立たなかった。大衆の判断、民主主義などというものは上っ面しか見ないものだからね。現在の凸凹商事の停滞の責任の一端は株主にあると言っていい。
「環境」やら「SDGs」という流行ものばかりを追って、大きな事業はやって来なかった社長の時代を「暗黒の20年」と呼ばれていることにも頷ける。この暗黒の間に周辺の同業他社には大きく水を開けられてしまった。その現実に社長だけが気づいていない。これが凸凹商事にとって悲劇だった。
ただ、社外委員たちも手を拱(こまね)いていたわけではない。過去8年の間に2度の政変を目論んだが、見事に現役社長の前に敗れ去った。反社長派の社外委員を粉砕して5期目に突入する。その時、本人も60代になったばかりで、やる気満々だった。「このままでは死ぬまで社長職にしがみ付くのではないか」という憶測まで出始めていた。そこまでいかなくとも6期、7期と無能な経営を続ければ、平成の初めに西三河で輝いていた凸凹商事は、まったく特徴のない、他社の人から見向きもされない凸凹になってしまう。そんな危機感を持った社外委員が三度目の正直とばかりに立ち上がったのである。
政権交代には3年の時間が必要だった。
まず、1年目。2度の敗北を味わっている古参委員の中には悲観論も多かった。
「もう現社長でいいのではないか」
「これだけ強い現職にはもう対抗しようがない」
「株主もそう言っているんだから」
さらに言えば、古参の社外委員の何人かは、社長室に呼び出されて「もう、お辞めになったらいかがか?」と退職勧告のようなものを社長から受けている。
ことほど左様に5期目のスタート時点で、現社長の体制は鉄壁だった。社外委員はというと、直前の戦いでは市長派と反市長派に別れていたが、戦いが終わればノーサイドということで手打ちをし、社長を支える方向で協調路線を歩むことになる。
5期目は強調する。しかし6期目は阻む。そういう方向性を持っていたのが旧反社長派の2~3人だった。冷や飯を食わされながらも、厭戦気分が強く投げやりな古参を、水面下で説得して回った。説得テーマはひとつだけ、「現社長では凸凹商事の明日はない。政権交代あるのみ」。
古参委員の説得と並行して、新人委員の取り込みにも尽力した。なにしろ新人は、社長との確執がないから「現社長でいいじゃん」てなノリである。
「いや、違うんだ」と、居酒屋の個室で何度となく説得を続け、ようやく反社長の旗を持たせるに至る。社外委員の意見統一に2年かかった。
並行して新社長の人選を進めていたのだが、これが難航した。10人ほどの候補が上がったが、なかなか凸凹のトップに座ろうという人物は現れなかった。
人選は決まらなかったが、すでに4年目に入っており、社長には退陣要求を突き付けておく必要がある。社外委員の全員の意向を引っ提げて、掛け合うこと3回、それでようやく、強気の社長も応じる姿勢に転じたものである。
しかし、次期社長の候補がなかなか決まらなかった。これは社長の長年にわたって実行してきた闇の方針「後継者はつくらず」が功を奏した。副社長人事にしても、後継者になりそうな人物は早々に首にし、副社長の席も減らし、社長に色気のない忠実な人物を登用した。社外委員から副社長の増員を求められても、一切応えなかった。
この社長の策が大きな壁となった。4年目の秋風が吹くころになっても候補者が固められなかったのである。
社長はほくそ笑んでいた。
「候補が決まらないなら、株主のために、従業員のために私が続投するしかなかろう」
これには社外委員たちが動揺した。見事に社長の策にはまってしまっているのだからどうしようもない。
最後に名前が挙がったのが、その時の副社長たっだ。おもしろみは然程ないけれどまじめな人物で、社長の続投に比べればマシだろうという判断が出た。幹部社員の中には反対の意見もあったけれど、とにかく20年に及ぶ無能な社長を下ろすことが最優先だった。
そして12月、ついに社長は白旗を掲げ「以後、70歳になるまでは凸凹商事に関わる仕事は一切受けない。当分は百姓に専念する」と大見得を切って退陣したのだった。
長かった~。
一貫性のない社長だったが引き際だけは鮮やかだった・・・。
と、思ったら、その舌の根も乾かぬうちに、凸凹商事関係の下請けのトップに次から次へとご就任遊ばしているという。友達の少ない元社長、寂しくなってしまったのではないか?だって、委員、部下を含め周辺の人間と交流しようとしなかったし、大切にした形跡もなかったもんね。それでまた凸凹に戻ろうとしている。
このことについて、社外委員会の副委員長が「あの人、嘘つきだもんね」と厳しい表情で、ぼそっと言った。