門田隆将講演会

 昨日、午前中、市内某公民館に出かけて、あるイベントの打ち合わせ。

 午後、地元商工会議所でジャーナリストの門田隆将さんの時局講演会に参加する。

《現在の日本を「ドリーマー(夢見る人、観念論の人)」と「リアリスト(現実主義者)」との対立の時代と捉え、DR戦争と呼んでいる。》

 という正論を引っ提げて「そこまで言って委員会NP」のレギュラーで活躍しておられるかたである。

 講演のテーマは「リーダーの本義~土壇場で発揮される人間の器量~」だった。事前にこのテーマは案内されていて、このテーマを見た瞬間に門田さんの著書が並べてある棚から2冊の本を引っ張り出してきましたぞ。

 1冊はテーマそのまんまの『リーダーの本義』(日経BP社)と、2冊目は、福島第一原発で原子炉と戦った吉田所長の『死の淵を見た男』(PHP)である。おそらくこのあたりの話をされるんじゃないかと、予想をして2冊を持参して会場入りをした。

 門田さんの公演は午後2時きっかりに始まった。のっけに文庫版の『死の淵を見た男』の表紙がパワーポイントに出た。だからワシャも本をかざして門田さんにアピールをする。門田さんも目ざとく、すぐに反応してくれた。

「ありがとうございます。それは単行本のほうです」

 著者というものは、読者が会場内にいるということは頼もしく感じるもので、一挙に門田さんがリラックスするのが伝わってきた。よかった。

 そこから講演のマクラとして吉田所長の話をして、次に出したのが岸田首相の写真だった。ここから門田さんの岸田批判が始まった。日本を救った吉田所長と比較し、岸田首相をぼろくそに叩きのめす。商工会議所のメンバーには親中、岸田シンパも多いと思うのだが、門田さん、まったく動ぜず、移民問題、フランスの暴動、川口市クルド人騒動、不法滞在をフォローするマスコミなどを切り口にして、岸田のぼんくらを斬りまくる。

 さらに、岸田首相が韓国訪問した時の話。大統領府に行く前に飛行場から直行した場所が、国立ソウル顕忠院だった。これは、日本統治時代の独立運動家から朝鮮戦争戦没者、さらには戦後、新潟でテロ活動を行っていた韓国工作員までを祀っている施設だ。そこにのこのこと出かけてご丁寧に手を合わせている。このぼんくら、靖国神社には一度も参拝していないにも関わらずだ。この一点をとっても岸田がとんでもない首相だということが理解できよう・・・と門田さんは言う。

 LGBTについても発言された。

「東京の公共トイレはすでに60数%が『男子用トイレ』と『その他用トイレ』に区分されている。『女子トイレ』がなくなっている。愛知は大丈夫?」

 と、会場に問いかけて、すぐにこう続けた。

「愛知県の大村知事も、適当な人だから心配なんだけど・・・」

 ここで、ワシャは大声で笑ったんだけど、やはり大村シンパの多いこの地域では、ドカンとは受けず、くぐもった感じのどよめきが起こっただけだった。

 講演は質疑もいれて1時間30分、3時半には終了予定である。しかし門田さんが、本日のテーマである「リーダーの本義」の話に入ったのは、3時25分だった。

 そこから明治大正生まれのリーダーや日本人のことに触れ、「彼らがあの戦争を命を賭し、戦後は高度経済成長の戦士として奮闘したことで今の日本がある。しかし、昭和30年代生まれの現在の日本のリーダーや官僚たちはまったく戦っていない」と手厳しい。門田さんは、自分も昭和30年代であることを自虐的に織り交ぜながら、強く岸田政権批判を聴講者に伝えていた。終了したのは3時40分過ぎだった。

 時間オーバーだったが、そこから質問を2人受けつけた。1人はもちろんワシャですぞ。なにしろのっけに本をかざして門田さんにアピールしてあるからね(笑)。

 質問は、門田さんの著書『死の淵を見た男』のあとがきを引用したものである。

「30年代生まれの岸田首相や政治家、官僚に門田さんが懸念を持っておられることはよく理解できました。でも、この本のあとがきで、《今回の不幸な原発事故は、はからずも現代の日本人も、かつての日本人と同様の使命感と責任感を持ち、命を賭けてでも、毅然と物事に対処してくことを教えてくれた》とも書かれています。私も門田さんと同様に30年代生まれで、もちろん岸田さんにはがっかりなんですけど、それでももう少しだけ30年代世代に希望を持ちたいと思うのですが、いかがでしょうか?」

 と、問うた。

 これに対して門田さんは、「今回のLGBT法でも、結局、党議拘束というルールで縛られてしまったが、反対の意向を示した自民党政治家は58人もいた。賛成はその半分程度だった。だからまだ希望はあるし、私たちは30年代生まれの高市早苗さんたちにその希望を託したい」というような回答された。

 よかった。今日の講演で始めて高市早苗氏の名前が出た。おそらく会場にいる聴講者の大半はおだやかな保守で、「それでも岸田」という雰囲気も感じた。地元の代議士もまだ若手でそれほどの色は出せないだろうし、県知事は適当な人物だから、商工業者にしても大勢ついていくしか選択肢はなかろう。ゆえに次なる選択肢「高市早苗」を最後に聴講者の耳に届けることができたことは、岸田自民に幻滅しているワシャにとっては重畳だった。

 

 いかんいかん、もう2,100字を超えてしまった。夕方からのイベントの話もしたかったんだけど、それはまた明日のココロだ~。