どうした家康?

 昨日のNHK大河「どうする家康」のことである。前回では「築山殿」(有村架純)が、現代のリベラリストが語るような荒唐無稽な構想を打ち出した。

「国と国が争うことなく、共通の通貨を使用し、足りない物資は互いに融通し合う」

 こんな世界観や思想は、残念ながら、戦国時代の妻妾には持てなかった。論拠を示そう。

 まず、知識として日本地図がなかった。もちろんここで築山殿が言っている「国」というのは、日本国ではなく「駿河の国」、「三河の国」、「尾張の国」といったエリアを指している。これもNHK製作者の認識が甘いのだけれど、「国と国」の前に、国の中での争いが絶えなかった時代が戦国期だったことを忘れてはいけない。そういったことすらも築山殿は知っていたかどうか。

 さらに駿河の太守の姪という最上級の貴族階級にあって、この考え方を持つというのは、いささか飛躍し過ぎている。それを築山殿が核となって、戦国大名である今川や武田を説得し糾合できるわけがなかろう。

 貴族の築山殿は自領以外に足を運んだことはなかった。まともな地図のない時代、武将たちは自らの足で現地を踏んで、あるいは諜報者を使って周辺の地形を把握し、彼我の状況をしっかりと計算した上で、戦略を練っていた。築山殿は、漠然と駿河の西に遠江があって、東には伊豆があって・・・程度の認識しかない。地理も歴史も知っている現代のリベラリストのような発想は困難である。

 その前提で話を進める。今回の「どうする家康」はことさらに悪女と言われ続けてきた家康の正室を、慈愛に満ちた聖母のような平和主義者として描いている。ファンタジーならそれでいい。空想歴史小説、コミックならまだしも、NHK大河ドラマで、この設定を大きく打ち出してしまったのは、歴史の捏造につながりかねない。軍艦島の映像に違う場所で撮影したものをもってきて、嘘をばらまいたようにね。

 それでも、ワシャはNHKの肩を持ちつつ、話を進めたい。徳川家康研究の泰斗である中村孝也先生の著書に『家康の族葉』(硯文社)がある。1冊1万5千円もする本なんですぞ(泣)。

「第五 妻妾」の章に、「築山殿関口氏と嫡子徳川信康」という19ページにわたる項がある。そこには、『徳川実紀』、『三河風土記』、『寛政重修諸家譜』等では事件の内容についてあまり触れられていないことを指摘し、唯一『家忠日記』に、母子の最期について簡単な記事を載せていると言う。後年、編纂された『武徳編年集成』には、事件の全体像が「築山殿悪女説」で、かなり詳細に書かれてはいるが、先生はこの記述には懐疑的である。

《万事はこれで決した。しかし退いて考察すれば、事のここに至った経路については、納得のいかないことが多い。》

 そしてこう断じている。

《母子処断の根本方針が、あっけないほどあっさり決定したのち、これを実行に移す外部的経過は家忠日記をはじめ、諸書の記述があるので、割合に明らかにすることができる。但し、これに伴う内面的記述は、創作者のために、自由な創造の場面としていつまでも残されているのである。》

つまり、『武徳編年集成』も、山岡荘八の『徳川家康』も、司馬遼太郎の『覇王の家』も、記録に残っているところを幾分の想像を交えて書いたのに比べ、今回の「どうする家康」は、すっかり想像して書き上げてしまったんだね。

 

 三河人として言わせてもらう。

 三河人は食えない、人が悪いと司馬さんは言う。確かにそうだとワシャも思うが、それでもね、本当に築山殿が、慈愛に満ち、家康に献身的に仕え、三河者たちにも優しく接していれば、さすがに田舎者といえども、何らかの好意的な手記を残していたのではないか?

 大久保彦左衛門が『三河物語』を残している。信康についてはいいことが書いてあるのだが、築山殿についての記述はなかった。もし、築山殿がNHKが描いたような有村架純であったとしたら、もう少し武将たちも友好的なことを書き残したのではないだろうか。

 なにしろ、NHKはお得意のファンタジー歴史を前面に打ち出してきた。「自由な創造の場面」として描けるからなんとも言えないが、ちょいとやりすぎのような気はした。