https://news.yahoo.co.jp/articles/7c3635039cb5452e4977640c673af0e403e46fef
ワシャは基本的にウクライナを応援するものである。だから、ウクライナ軍を手痛い目に合わせているプリゴジン氏をよく思っていない。プーチンも嫌いだがプリゴジンも嫌いだ。その上で話を進めたい。
プリゴジン、実は世界史に名前を残す絶好の機会を逸した。500名のワグネルの精鋭を引き連れて、モスクワを目指していた。しかし、ベラルーシのルカシェンコ大統領の説得を受けて、軍進行を停止し、自身はベラルーシに亡命をするとか、しないとか。
おそらくプーチンロシヤはプリゴジンを許さない。早ければ近日中、遅くとも何年かのうちに不自然な死を遂げるだろう。
プーチンに反旗をひるがえした時点で、プリゴジンの人生は極まった。これほどの謀略家がそんなことに気がつかないはずがない。ここは名を残すために、踏ん張ってもらいたかった。
もし、プリゴジンが司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んでいれば、間違いなくモスクワに進撃して行っただろう。土方歳三の最期の「五稜郭の戦い」、プリゴジン、知らねえだろうなぁ。
五稜郭の最終決戦にちょっと触れますね。
土方は一個分隊(50人)を率いて兵力、火力で圧倒的な薩長軍(官軍)に対して突撃をする。土方、五稜郭軍の将であるにも関わらず白兵戦の先頭で、官軍の手薄な左翼を攻めている。ここからは司馬さんの名文を引く。
《そこへ官軍の予備隊が駆けつけて左翼隊の崩れがかろうじて支えられるや、逆に五稜郭軍は崩れ立った。
これ以上は、進めない。
が、ただ一騎、歳三だけがゆく。悠々と硝煙のなかを進んでいる。》
土方は単騎で官軍の布陣を突破し、函館市内への入り口にある栄国橋までやってくる。そこで長州の部隊に見とがめられる。
《士官が進み出て、
「いずれへ参られる」
と、問うた。
「参謀府へゆく」
歳三は、微笑すれば凄味があるといわれたその二重瞼の眼を細めていった。むろん、単騎斬りこむつもりであった。》
そして名を問われる。土方、敗軍の将なのだが、ここからが格好いい。
《「名か」
歳三はちょっと考えた。しかし函館政府の陸軍奉行並、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。
といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。》
長州隊の驚きの中、土方は悠然と駒を進めていく。負け戦を確信しつつ、それでも前を見ている。
そして土方歳三は栄国橋で死んだ。34歳だった。しかし、賊軍とはいえ、その武名は令和の時代になっても轟いている。土方の上司だった榎本武揚は生き残った。五稜郭の戦いの後、薩長に屈し、それでも政府の官員となって天寿を全うした。大臣なども歴任し活躍もした。しかし、土方の美名に比べると、余りにも色あせて見える。
プリゴジン氏、今日現時点で消息は不明である。命の危険を感じて潜伏したか?あるいはプーチンの魔の手によって、闇から闇に葬られたか?
年齢は62歳である。ロシヤでは男の平均寿命が64歳くらいなので、もうプリゴジン氏は充分に生きている。あとは名を残すことを考えるべきだったのではと・・・思っている。
最後に、土方の敵だった坂本竜馬の言葉を贈りたい。
「生きるも死ぬも物の一表現に過ぎぬ。いちいちかかずらわって おれるものか。人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい」