今日は何の日

 文久3年(1864)、明治維新を4年後の控えたまだ春寒い三月十三日のことである。京都壬生郷八木源之丞屋敷の門に「新選組宿」という大札が掲げられた。名実ともに新選組が世に認められた瞬間であった。司馬さんの『燃えよ剣』に依れば、壬生界隈は花あかりが射していたようだ。つまり桜が満開だったという。
 ここから新選組は黄金期を迎える。京洛一帯にその名を轟かす剣士集団となっていく。ブッサキ羽織を翻して、京の町を闊歩するとき、気分が良かったでしょうね。多摩の百姓が、会津中将様お抱えの浪士組という肩書まで付いちゃっている。肩で風がピシピシ斬れたことでしょう。
 それから6年後、新選組の大方の仲間は死んでしまった。唯一の副賞は幕府軍に従って函館五稜郭にいた。土方歳三であった。彼もこの場所で壮烈な死を遂げてゆく。

 一世風靡をした新選組の寿命も6年ほどだった。なんでもそうだけどこのくらいの長さが美しいわさ。