見直される若者たち

新撰組」で検索すると10件、「新選組」であれば5件、過去の日記に出てくる。わりと書いてきたつもりだったが、わずか15回だけだったか。
「文藝春秋」6月号である。伊集院静さんの連載「文字に美はありや」で近藤勇土方歳三の書が取り上げられた。ううむ、近藤はクセがあるけれど、人柄が偲ばれるいい書である。土方は文句なく達筆だ。伊集院さんは「流麗である」と言っている。つまり、この書は、近藤と土方が、特別警察の殺戮者ではなく、文化と教養をもったリーダーだったことを物語る。
 幕末の京都、は尊王攘夷をかかげる薩長土の浮浪と、攘夷思想を持ちながら佐幕を貫く新撰組や見回組が血で血を洗う激闘を繰り返していた。どちらにも言い分がある。
 志士には坂本竜馬高杉晋作桂小五郎などスターがいる。これらに対抗できるスターはやはり近藤勇土方歳三沖田総司などであろう。
 ワシャは、司馬遼太郎の『燃えよ剣』が大好きなことと、やはり敗者の美とでも言おうか、そういった要素をふんだんに持っている新撰組に肩入れをしてしまう。
 幕末も終焉の頃になると、モノのいい志士は倒れ、時流に乗った薩長土肥が二流の若者を権力者として登場させてくる。長岡を壊滅させた土佐の岩村高俊など、その最たるものであろう。
 そんな男の話はどうでもいいが、少なくとも明治以降に敵役として定着していた新撰組は、多くの作家の手で復権しつつある。伊集院さんのエッセイもその一つであろう。