女装変態野郎のことを思い出していて『サイコメトラー』の福島満男にたどり着いたまではよかった。その経緯は16日に日記に書いた。これね。

《変態を野放しにするLGBT理解増進法》

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2023/06/16/075952

 読み始めれば、そもそも面白いコミックなので、ついつい全巻掘り出してきて読み込んでしまった。

 読んでみると、結構、LGBTの問題点が10年前にしっかりと指摘されていたことが解かる。自民党の推進派の先生様がたも『サイコメトラー』を読んでいれば、もうちょっとまともな法案になったものを(泣)。

 なにしろ、国会議員の読書量が少ないからねぇ。安倍元首相が読書家だったことは有名な話だが、その他の議員で積極的に読書をしている人が、はたして5パーセントいるだろうか。政治家ではないけれど、某省の高級官僚の部屋を訪れたことがあるんだけど、並んでいたのは「文藝春秋」だったからね(笑)。

 某市の市長が、議員にむかって「本を読まない議員ばっかりだ」と公言した。その発言に異を唱えた議員もいたようだが、現実としてその議会でまともに本を読んでいる議員は1人か2人で、市長の言っていることは正しかった(トホホ)。

 話が逸れた。『サイコメトラー』のことである。読んでいくとね、けっこうLGBTのことが描かれている。第14巻で発生したペニス・コレクター殺人事件、男性の性器が切り取られるという猟奇殺人で、被害者の額に「入」という文字が書かれている。この事件の捜査中に交わされた志摩警部とサイコメトラーのエイジの電話を引く。

 

エイジ「よく見たらあれ『入』じゃねーよ。ビミョーにちげー」

志摩「たしかにそうね・・」

 エイジは『入』ではなく『λ』(ラムダ)であることを志摩に告げる。志摩は捜査一課のパソコンをたたき、

志摩「ラムダ・・ラムダの意味って。これは・・!」

 ページの4分の1を使って大きな『λ』が描かれ、その下に電話を掛けている志摩の緊張した表情がある。

志摩「これは・・レズビアンとかゲイとかバイセクシャル トランスジェンダー・・・・。つまりセクシャル・マイノリティの人たちにとっての、シンボルマークを意味するみたい」

エイジ「それって重要なヒントじゃないのか?」

志摩「そうね。あっ これもしかしたら・・。レインボーフラッグよ 同じような意味を持ってる」

エイジ「レインボー?」

 

 ここで「レインボーフラッグ」が出てきていた。アホなワシャは、LGBTのシンボルとしての「λ」と「レインボーフラッグ」が「同じことを意味しているのだ」と納得したのみで、コミックを読み進めてしまった。だから、まったく頭に残っていない。だってさ、「LGBT」だって、ここ2~3年でようやく人口に膾炙するようになった程度でしょ。この日記でも登場してくるのは、5年前くらいからですわ。でも、10年前に、すでにコミックの中で語られていたんだなぁ。

 話を進めるが、この事件の犯人は、幼少期に性器を切除され女性として生きることを強制された男性で、「ペニス・コレクター」になる背景には大きな闇があって、簡単には説明できないけれど、レズでもなくゲイでもなくバイセクシャルでもなくトランスジェンダーでもない、「ペニス・コレクター」なるものの存在があるということを示してくれている。

 ボケのエマニュエル(駐日大使ね・笑)が、LGBTどころか、QだのIだのAだのまで口にしている。さらに「+」ってのも付け加えられてきた。

 男だけど男とセックスしたかろうが、女が女とチョメチョメしたかろうと、男でも女でもどっちでもいらっしゃいだろうと、時には男になったり女に化けたりしようが、男装しようが女装しようが、「+」がつけば、なんでもオッケーで「ペニス・コレクター」だって性癖のひとつだと主張すれば、なんでもかんでも「あり」の多様性だからみ~んな包茎・・・間違えた、包含してしまうということで、性的な指向は、どんな変態性を持っていても許そうとしている。だから社会は、どんなに少数であっても「ペニス・コレクター」の指向性も認めるべきだよね(怒)。

 女装して女湯に入って股間を緊張させる福島満男の変態性も、かれが「女性である」と性自認すれば認めなければならず、それを拒めば、「LBGT理解促進法」に反することになるのだ。罪に問われるのはまともな道徳観で生きている人たちなんですね。

サイコメトラー』、読み返してみると、今回のLGBT騒ぎの根幹にある問題点がいろいろな容(かたち)で炙り出されてくる。コミック、侮れません。

 

 エマニュエルに代表される左巻きが言う「LGBTQIA+」について、こんな説明がなされている。

《性はグラデーション。人それぞれに個性があるように、性の在り方も十人十色。いや、それ以上に多様なものです。》

 基本的なことを言わせてもらえば、性は「男」と「女」しかない。多様性という偽善的な言葉を使えば1億人の中にいるたった独りの「ペニス・コレクター」の変態性も許容しなければならないということ。罪を犯す犯さないという話とは別で、そういった性的指向を持っている人間をも多様性の中に含めて考えるということである。

 この説明では「十人十色」と言っているが、これがまったくの嘘で、「十人十色」なら色別に1割ずついるように聞こえる。でもね、「ペニス・コレクター」に関していれば、実存したのは阿部定くらいのもので、果たして一億分の一いるかどうか?

 それでも巨大なマジョリティである普通の人間が「多様性の欺瞞」でそれを許容しなければならないのだろうか。昔は「変態」の一言で終わったんだけどね(笑)。

「多様性」という独断は危険だ。「LGBT」「SDGs」などが喧伝する多様性は、普通の人が、日本人が本来持っていた多様性を殺してしまう。「λ」でもなんでもいいけれど、これらがとても有害な思想であることには自覚的でありたい。

 

追伸:こいつらが使う「レインボーフラッグ」だが、「虹」のイメージを棄損した罪は重い。子供と一緒に空にかかる虹を見て「綺麗だね」と言えなくなってしまった。「虹」を見るたびに、「LGBTQIA+」を思い出し、気分が沈むのはワシャだけではあるまい。美しい「虹」への想いが汚された。

 

「虹立ちて忽ち君の在る如し」

 

 高浜虚子の名句である。

 詩歌では「君」というのは、愛しい異性をさしている。虚子は、弟子の女性のことを想いながら詠んだ。すぐに消えてしまう虹に想う人を見ていることから、二人の関係も淡くはかないものだったろう・・・と読み手はかってに思うのである。

 この句を詠んだのが、虚子が疎開していた信州である。山々を背景に虹が架かったのを見て、遠くにいる病弱な愛しい弟子に想いを馳せた、いい句でしょ。

 でもさ、「レインボーフラッグ」とかがイメージで出てくると、「虹」=レズ、ゲイ、どっちもOK、性は言ったもん勝ち、ペニス・コレクターなどが連想され、それらが脳内にニュウニュウと侵入してくるんで、虚子の名句が鑑賞できまへんたい。

 いい加減にしておくれやっしゃ。