希望という名の絶望

 昨日の朝日新聞オピニオン欄が朝日だった。題して《LGBT法に見た希望》。

活動家が・・・間違えた、朝日新聞編集委員が『レズビアンヘルスと看護研究』(晃洋書房)という本を出し、バイセクシャルを公表しているLGBT法連合会の藤井ひろみ代表理事にインタビューをしたものである。

 ワシャは、紙面の字が大きくなり、広告ばかりになって、情報量が減ってきても頑(かたく)なに朝日新聞を「5000円」も出して購読している!

ワシャはどう考えても優良読者と言っていい。しかし、昨日のこのインタビューにはびっくらこきましたぞ。

 まずインタビュー全体が読み辛く、何を言いたいのかが解らない。これは一重に活動家・・・間違えた、編集委員の力量のせいなのだろう。活動家は言う。「この国の政治が少数派に対していかに無理解で不寛容かを思い知った」と。ところが藤井氏は「うれしそうな当事者もいる」と答え「LGBTQが、権利主体として歴史に刻まれたことが大きい」と続ける。要するに利権構造の第一歩が、巷で言う「公金チューチュースキーム」の下地ができたことを喜んでいるのだ。

 この後、藤井氏は自らの差別されてきた経験を開陳する。

異性愛者の絆を確認するためのネタとして性的少数者は長くおとしめられてきたと思います」

 まず、藤井氏、「思います」と言っているレベルで、単なる個人の「思い込み」ということを吐露している。この人の発言、主張には数字的根拠はない。

 一般的に「異性愛者」とは「普通の人」たちのことですよね。でも、この大きなかたまりを「普通」というと、「じゃあLGBTは異常ってこと?」とヒステリックな反応が予想されるので「一般的な異性愛者」とでも言っておきますか(笑)。めんどうくせ~な。「じゃあLGBTは一般的ではないってこと?」と食いつかれそうで、要するに少数者にお伺いを立てて了承してもらわないと、一般的で普通で大多数の人たちはモノを言えない社会をつくっていくということになる。

 ついでに突っ込んでおくと、「異性愛者の絆」ってなんやねん。ネーチャンとゴロニャンすることを言っているのかニャ?

バリバリの異性愛者であるワシャは、長い人生で「ゴロニャンするためのネタ」として性的少数者をおとしめるネタなど使ったことがない。何回、ゴロニャンしたか、途方もない数(笑)なので数字を示せないが、そういうネタを使わなかったということでは「0」を示せる。

 いいかい、普通の人はそれほど暇じゃない。そんなことをゴロニャン前にやっている場合か!

 話を進める。藤井氏は言う。

「保守、リベラル関係なく、差別と偏見はあまねくある。(中略)ロビー活動を、全島に等しく行ってきました」

 ここで稲田朋美議員の名前が出てくる。活動家たちの戦略に阿呆が見事にはめられてしまった。藤井氏は岸田首相にも面会をしたと言っている。フニャチンのマヌケな対応も書かれているがここでは割愛をしておく。

 活動家は質問の中でこんなことを言っている。

「当初案が変更され、理解増進法には当事者でない私ですら絶望を感じた」

 おいおい、「差別は許されない」から「不当な差別はあってはならない」に変わっただけだよね。これに「絶望」って、サヨクの皆さんの感覚が恐ろしいわい。

 これに対して藤井氏はこんなことを話している。

「2年前、理解増進法は国会提出にすら至りませんでした。『抗議自殺』が頭をかすめたのは、私だけではなかったはずです」

『抗議自殺』って、サヨクの考え方はどこまですっ飛んでいくんだ?それにこの回答にも「~~はずです」という憶測というか、数値的根拠のない思いが吐露されているだけで、何の説得力もない。

 そして中段過ぎに怖いことが書いてあった。活動家編集委員の「廃案にして出直させるべきだったのでは?」という問いに対して藤井氏はこう言っている。

「廃案にすべきなのか悩みましたよ」

 これって、国政の法律制定に対して、稲田議員とか古屋議員とか国会議員が権限を持っているんじゃなく、民間のLGBT活動家が、廃案にするかどうかのイニシアティブを有していたと取れる発言である。要は、稲田議員らは傀儡(くぐつ)だったと言っているに等しい。

 短い審議について藤井氏はこう言っている。

「あなたいったい何回『ジェンダーアイデンティティー』って、『性的指向』って言いました?あんなに嫌悪してたのに、あらら?自ら土俵にあがったんですねって。この感じ、何て言ったらいいかなあ・・・」

 これに朝日活動家が「ざまあみろですかね」とたたみ掛けている。この品のなさは如何ばかりであろうか?

 審議である。当然のことながら、テーマになっているのが『ジェンダーアイデンティティー』や『性的指向』である。そのことを口にせず、議論ができますか?

 そのことを言わせたことを「ざまあみろ」というのは明らかに真面目な議員に対しの「差別」だ。もっとくどく言ってやる。「差別だ差別だ差別だ」。

 後段に藤井氏は自身が監修した本について触れている。情報を大切にするワシャは、さっそく近くの図書館に行って借りてきましたぞ(汗)。『よくわかるLGBT 多様な「性」を理解しよう』(PHP)、これについては後で触れたい。

 この本を監修する際に、「編集者と意見が全然かみ合わなかった」という。PHPの編集者、なかなか優秀ですな。かみ合わなかった点を藤井氏はこう言っている。

「自分の性的指向性自認に気づいた時の心情が『自分はみんなと違う』と表現されていたんです。そうではない、と私は言ったんですね。私の実感は『みんなは私と違う』だったから」

 え?なに言っちゃってくれてんの?自分をA、みんなをBにして考えてみなさいよ。

『AはBと違う』、『BはAと違う』って「AとBは違う」という同じことを言っている。あんた、アホか?

 この話に続けて「マイノリティー」と「マジョリティー」に触れ、

「マジョリティーに都合のいいストーリーばかり流布される。それって気持ち悪いです」

 と言っている。違うね、大多数のマジョリティーは沈黙している。あえて触れない。大声で騒いでいるのは、あるいはロビー活動をして無知な国会議員を操っているのは、マイノリティー側、それもその中の極々限られたLGBT活動家と言っていいだろう。

 その証拠に、テレビなどに出てくるLGBタレントの多くはむしろ迷惑にすら思っている。

 このあたりからインタビューも終盤に入ってきて、そろそろ本音が出てきましたぞ(笑)。

「必ずしもわかってもらう必要はなくて、共に生きる道をお互いに探っていけたら十分じゃないですか。私のロビー活動も、同胞が安心して暮らしていけるための『外貨獲得』に近いし」

 今でもテレビなどではマイノリティーの人たちがスポットライトを浴びている。全体の割合から見れば、むしろ多いくらいではないか?その人たちは、安心して暮らしていないと言えるのか?デラックスにしてもマングローブにしてもみんな努力を重ねて安心して生きているのだ。

 そして、出ましたね『外貨獲得』。要はここですわ。努力をしない連中に公金を回す。その途中で、講演料や指導料と称して流れる公金から上前をはねる。「公金チューチュースキーム」の完成となる。

 さて、クライマックス。藤井氏の発言の後にコメントをつけていく。

性的少数者として生きてみると、寛容というか、『自分』がグラデーションになるんです。決まり切った型にはまらない」

 オバサンが言っているのは「性的少数者は自由なのよ。色合いなんかも自由に決められるのよ。オホホホホ」ということだ。

 今日も長くなっているので、ここは簡単に。白洲正子さんが「人間は一定の型にはめることが必要である」と言っている。ワシャもそう思う。さらにトランスジェンダー性自認)を自由に変えられたらたまったものじゃない。実際にあちこちで被害が出ている。これらの事件については、このインタビューではまったく触れられていない。ちゃんとド変態という超マイノリティーについても触れてくださいよ。

「理解増進法をめぐって、多くの人が、自分事として、多様な性的指向ジェンダーアイデンティティ―の人と一緒に生きる社会って?と考え始めたと思うんです」

 と、ここでも「思う」だけで根拠はない。いいかい、日本はそれこそ何百年も前から「性」に関しては実に寛容な国だった。織田信長バイセクシャルだったし、出雲のお国は男装、江戸中期以降の歌舞伎役者には女方、さらには陰間茶屋なる場所まであったのである。すでに日本は長い寛容な歴史を持っているのだ。

 それを今更、何を言っているのか?そしてこの人の絶賛する「理解増進法」のせいで、普通の女性たちが、いやいやLの人たちだって、迷惑を被っている。女性を自認する変態共が女子風呂に侵入してきて、彼女たちの裸体を楽しんでいるのだ。

 このオバサンが絶賛するクソ法は、変態たちに抗弁権を与えただけのものでしかない。

 いかん、書き過ぎた。藤井氏のご著書に触れる時間がなくなってしまった。これについてはまた後日ということで、失礼します。