番町皿屋敷

 お題は歌舞伎の演目名である。

 昨日、名古屋市橘町にて歌舞伎の名題役者の中村橋吾丈の「ひとり歌舞伎講座」が開催された。そのテーマが《『番町皿屋敷』を読み解く》というもので、歌舞伎ファンのワルシャワは本歌舞伎を観続けてきたが、「ひとり歌舞伎」というものが成立するものなのかどうか、やや懐疑の念を抱きながら地下鉄名城線東別院で地上に出た。

 

 午後4時過ぎの東別院。久しぶりだなぁ、ここで降りるのは・・・いつぶりだろう。昨日は快晴で、東本願寺名古屋別院南側の幹線の広い歩道は桜の緑で埋められて気持ちいい。古渡町交差点まで西に進み、伏見通りを右折し北上するとまもなく高顕寺が右手に見えてくる。ここが「ひとり歌舞伎」の舞台になる。

 

 高顕寺、江戸時代中期に作られた「尾州名古屋御城下之図」にも記載がある寺。

その本堂の仏壇前に屏風を立て、赤い毛氈を敷き、そこを舞台とする。毛氈の前に40ほどの椅子が並べられ客席となる。

やがて毛氈のところに椅子1脚とマイクが置かれて、準備は整ったようである。しかし、ここでどうやって歌舞伎を見せるのだろう。

 

 橋吾丈が袴姿で登場する。「成駒屋!」と声がかかる。ほう、橋吾丈、歌舞伎の筋書に載っている写真よりもかなり男っぽい。目鼻立ちがいい。眼力もある。面差し的には菊之助に似ている。なかなかいい役者だと感じた。第一印象としては高得点だ。

 そして、『番町皿屋敷』について話を始めた。解説を交えながら、緋毛氈の上で独り芝居を始めたのだが、これがすごかった。『番町皿屋敷』に登場する十役を演じ分けてみせたのだ。

 血気盛んだが思いやりのある若侍の青山播磨、楚々とした雰囲気を醸しながらも播磨への恋に燃えるお菊、凛とした武家の内儀の真弓、ヤクザ者の放駒四郎兵衛、その手下長吉・甚助、奴の権次・権六、青山家の実直な用人の十太夫、務めをまじめに果たす腰元のお仙、これだけを演じ分けるのはなかなか難しい。

 橋吾丈が、このひとり歌舞伎を編み出したようだが、これはけっこういけますぞ。歌舞伎の素人に対して、歌舞伎の普及をするということにもなるし、ワシャのような中途半端な大向にも気づきを与えてくれる趣向だった。

 例えばね、橋吾丈が青山播磨になって見栄を切る・・・ここで一瞬、素に戻って「このタイミングで、『成駒屋!』と声を掛けるんです」と解説してくれる。これはおもしろかった。

 ざっと1時間半、『番町皿屋敷』と、橋吾丈がひとり歌舞伎の作品としてこしらえた「平和成祈鐘(へいわになれやいのるはこのかね)」のダイジェスト版も演じてくれた。

 ワシャはこれを拝見し、落語の要素が多分にあることに気が付いた。橋吾丈も言われていたが、「ひとり歌舞伎」は観客のイマジネーションがもっとも重要で、これがないと成立しないということ。つまり、落語、講談などに親和性があると感じた。これはうまく育てていくことができれば、本歌舞伎への取っ掛かりとしては大きな力を発揮するかもしれない。

 これは質問タイムで聞きたかったことなのだが、名題役者なら十役を演じ分けることができるのか?あるいは橋吾丈の精進の賜物なのか?ということである。

 どちらにしてもいい発見ができた。これは地域おこし、シティプロモーションにも使えそうだ。ちょっと考えてみるか(笑)。

 

 ちなみに、歌舞伎の『番町皿屋敷』には幽霊は出てきません。青山播磨、腰元お菊の純愛ドラマなんですね。

 ワシャは過去に歌舞伎座とか御園座で、この演目を何度か見ている。先代団十郎吉右衛門梅玉の青山播磨だったんだけど、みんな老齢の大看板だったから、青山播磨の血気盛んな若さ、純粋さのようなものが出ていなかった。むしろ、昨日の橋吾丈のほうが生々しい青山播磨となっていて、臨場感があった。