小人閑居して不善を為す

 4月12日の日記に、犯罪者の「職業不詳」について書いた。これね。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2023/04/12/124316

 今回の和歌山雑賀崎漁港での危痴害事件の犯人(24歳)も「職業不詳」だった。これって今まで社会主義国日本が推し進めてきた「人権最優先」の、ある意味での結実ではなかろうか。

 かつて、といってもそれほど昔のことではない。ワシャが子供の頃は、近所で働いていないニイチャンはけっこう白い目で見られていた。

 近所の口うるさいオジサンが仕事をしていない若者を見とがめ、「おい、おまえいつまでブラブラ遊んでいるんだ。しっかり働いておふくろに楽をさせなきゃダメだろう」と叱っているのを何度も見た。

 いつの頃からか、働かない若者の人権を認めるようになり、そういう指摘をすることが躊躇われるようになってきた。これもみんな人権原理主義者のなせる業であろう。

 いいかい、若造なんて、仕事もせずに引きこもってしまうと、ロクなことを考えないものなのだ。意に沿わない仕事でも働かせていれば、自分の行く先にわずかながら光明が見いだせるものである。

 ワシャは高校1年の夏休みから働きだした。といってもアルバイトね(笑)。両親とも教師だったが、当時の教師なんて貧乏で、それに忙しいのもあって子供のことなんぞ構っていられなかった。当時、「放任主義」というのも流行って、父親の書斎にはその関係の本が置いてあったりした。

 その上に両親そろって節約家だったから、小遣いも大してくれなかったので、「じゃぁ自分で稼ぐ」と切り出すと、簡単に了承してくれた。

 それからアルバイトをしまくった。学校に行って、クラブ活動もやり、放課後は友人と遊びまわった上に、夏休み、冬休み、春休みなどにアルバイトをびっしりと入れた。そりゃ勉強する暇はないですね(笑)。

 正確ではないけれど、高校時代だけで40職種くらいの仕事をやった。水商売から土方、クーラーの設置、パン屋の裏方、ガソリンスタンド、郵便局・・・。どれも何かを為そうなどと高邁な志を立てているわけではない。当時、「アイビー」が流行っていて、「VAN」のジャケットやコートを求めるのに、とりあえず現ナマが必要だったということ。

 それでも、毎回違う職場で、たくさんの人と出会って、その人たちの指導のもと仕事をやっていると、必然的にコミュニケーション能力は高まってくる。さらに「世の中にはいろいろな人がいる」ということに気づく。これは後々のワシャの生き方の糧になった。

 さぁお立合い。その頃にワシャが自室にこもって、パソコンだけに向き合っていたらどうだろう。クソガキのワルシャワなど、知識も経験もないから閑居すればエロエロなことや、偏った政治思想(とも呼べないもの)に影響を受けてしまったろう。

 しかし、暇をアルバイトに費やした結果、家に帰ると疲労困憊で、飯を食うと、そのまま朝まで熟睡した。「不善を為す」ことなど微塵も考えられない。

 今回の「職業不詳」の若造など、ケツを叩いて家から出し、それこそ漁船かなんかに乗せて朝から晩まで働かせていれば、首相を爆殺しようなんてことは考えなかっただろう。

 人がある程度の成長を遂げるためには、何がしかの「強制」が必要だと思っている。間違っちゃいけませんよ。支那共産党のやっている「強制労働」ではなく、理性と優しさの伴った「枠」のようなもののことである。焼き入れをしないと刃物が「なまくら」になってしまうのと同じだ。

 すでにネットやテレビで話題になっているが、爆弾男をねじ伏せた赤い袖の派手なオジサンが格好よかったねぇ。現場の漁港の漁師だというが、あの反射神経はすばらしい。若いころから暇もなく働き、遊び、喧嘩をしてきた人間の動きだった。爆弾男もあのオジサンの漁船に乗せてもらって働けば、不善を為さなくて済んだと思う。

 こういった事件で、政治・社会をとやかく言うことは避けたいが、少なくとも「職業不詳」などというものを一般化してはいけない。働ける体躯、能力をもっていながら働かないことは「恥ずかしい」という感覚を養うこと、これが良質な社会をつくっていく第一歩だと考えるが、いかがかな。