差別するオジサン

 昨日のお昼の番組で神沼恵美子がオジサンのことをボロクソに貶していた。ワシャもオジサンなのであまりいい気持はしない。とくに身体的欠陥をさして非難するところにはまったく同意できなかった。

 でもね、ワシャもオジサンでありながらオジサンを差別することがある。というか、ある一定のタイプのオッサンは明確に差別する。

 やたらベタベタと女性の体に接触するオッサン。それは部下に対してとか、後輩に対してとか、あるいは接客業の女性に対して、酔ったのかどうかは知らないが、財務官僚であったでしょ。「おっぱい触らせて」と言うようなオッサンが。こういうのがまったくダメなんですね。同席をしていれば「やめろよ」とモロに嫌悪感をあらわす。だからワシャが上司だった時の飲み会でセクハラは起きなかった。酒席で一度だけ女性社員のお尻を触った部下がいて、そいつはボロクソに扱き下ろしてやった。パワハラかもしれないが、そいつがセクハラをしたんだから、ワシャは正義の味方なのである。

 次に嫌いなのが傍若無人な人間。こういったやつは、とにかく男でも女でも差別せず、差別する。ゲスの比率は圧倒的に男に多いけれど、たまに女でも傍若無人なオバハンに出くわす。そういった輩には遠慮せずに、とにかく差別することにしている。

 それから人を差別するやつを差別する。儒教文化の色濃いところでは、職人とか肉体労働者を差別する。朝鮮半島のかつてのエリートは、手元から落ちた紙片すら拾う上げる労を嫌う。思考することこそ、漢籍をあたることこそが、至上の仕事であり、それ以外の労を伴うことは下賤のすることなのであった。だから、武人をも差別したために、彼の国の軍事の弱さは際立っていた。

柏耕一『交通誘導員ヨレヨレ日記』(三五館シンシャ)という本がある。表紙のコピーに「当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます」、帯に「誰でもなれる」「最底辺の職業」とも書かれている。著者の交通誘導員自身がそう言っているのでそうなのかもしれない。

でもね、ワシャは交通誘導をしてくれるオジサンに必ず会釈をして通る。昨日も、隣町の本屋まで自転車で行ったのだが、その途中のユニクロやスーパーの駐車場の入口で、交通誘導員が立って交差する通行を捌いている。タイミングによっては、出場しようとする車両を停めて自転車を優先してくれる。その心遣いに頭が下がる。逆の時もある。自転車を停めて、車を優先する場合に、交通整理員は頭を下げてくれる。その好意にこちらも会釈をして通過するのである。上手な交通整理員をワシャは尊敬する。その手捌き足捌きに感心するのである。

 道路側の車の流れに割り込みをさせる場合もあって、その際にも上手い誘導員は、待たせた道路側の車両に深々と頭を下げる。その誘導で割り込みをした高級車に乗ったジジイが、相手車両にも、誘導員にも会釈せず「当たり前だ」というような仏頂面をして走り去るのを見ると、ワシャはこういうバカを心底差別する差別主義者になる。そのジジイがワシャの飲んでいる店に入ってこようものなら、あからさまに同席を拒むであろう。店主に「犬と仏頂面は入店させるな」という紙を店頭に貼らせるかもしれない。

 

 今日2月22日は「ニャンニャンニャン」でニャンコの日なんだそうな。だから朝日新聞の1面記事下広告は猫関係の書籍の紹介ばかりである。それで、ふと思ったんだけど、そういえばワシャの書庫にはニャンコ先生は何百と棲みついているけれど、「猫の本」というのはニャンコ先生がらみ以外には持っていないかも。

 今、10分程、書棚を確認したけれど、池田大作の本すらあるのに、猫系の本は見つからない。犬系はあったんですよ。『世界の犬図鑑』(新星出版社)、J.C.マクローリン『イヌ どのようにして人間の友になったか』(岩波書店)2冊だけですが。

 池田大作の本を出したのは、ホントに犬の本と並んで挿してあったから以外の理由はありません。池田氏仏頂面などと思ったこともありません。念のため。