チハ車

 タイトルは、大東亜戦争時に活躍した(のかなぁ)、陸軍の九七式中戦車の略称である。「チ」は中の「チ」、「ハ」はイロハの「ハ」で、3番目に開発された中型戦車という意味のコードネーム。

 これにチハ遼太郎さんが・・・間違った、司馬遼太郎さんが隊長として支那戦線で搭乗していた。

 司馬さん、『歴史と視点』(新潮文庫)の中に「戦車・この憂鬱な乗物」、「戦車の壁の中で」、「石鳥居の垢」と題する評論で、このチハ車のことをボロクソに酷評している。

《大根を敵戦車に投げる程度の力しかなかったチハ車は日本陸軍で最重要の軍事機密だった。》と言う。チハ車の戦闘能力が敵にばれると恥ずかしいということで極秘となったんですね(笑)。

 諸外国の戦車とチハ車を比較して、こう貶す。

《優美さと威厳を融合させた日本のチハ車などは多くの好みに適うにちがいない。ただ戦車としては戦争のできない戦車という、世界唯一の珍車であったことだけが残念だったような》

 チハ車、薄い鋼板で造られていたので防御力がなく、ちゃちな砲には貫徹力がない。司馬さんは「戦場をブリキの棺桶にのってはしりまわっている」と表現していた。

 なんでチハ車のことなんぞを突然書いているかというと、最近の防衛費、自衛隊の装備についての議論を聞いていて、チハ車のことを思い出したんですね。

 自衛隊のOBの方がこんなことを言っていた。 「たまに撃つ、弾がないのが、玉にきず」  今の自衛隊は弾薬がない。それは体裁ばかりを整えるため、実の部分が削られているということで、実戦に際して3日持つかどうか。潜水艦では模擬魚雷ですら年に1本撃つだけだという。

 これは防衛費をGDP1%枠という形だけで整えようとした政府、財務省の結果であり、実戦部隊の自衛隊は枠内の予算で、できる訓練をするしかないわけだ。

 これが薄い鋼板と貫徹力のにぶい砲を備えたチハ車と同じ思想なのである。

 ウクライナで戦争が起きている。こいつはもしかしたら日本の周辺でも戦争が起きるかもね。でも、「平和憲法」があるから、憲法が守ってくれるだろうし。だけど国民はロシヤを怖がって五月蠅いから、ちょっとだけ予算を増やして、装備を増やしておくか。といっても、いっぺんに増やすと「軍靴の音」が聞こえてくるといけないので、とり合えず「5年以内に2%」くらいの体裁にして、先延ばししておくか。

 この財務省の考え方は、司馬さんがもっとも嫌った陸軍官僚のものをきっちりと踏襲している。このままで征けば、薄い鋼板で守られているチハ日本は、支那、ロシヤ、北朝鮮の貫徹力のあるミサイルによって火達磨にされるのはまちがいない。