立秋

「秋たつや川瀬にまじる風の音」

 飯田蛇笏の句である。この句、『新日本大歳時記』(講談社)の中でも絵付きで紹介されている。絵は川合玉堂の「日光裏見滝」。だから、立秋というとこの句が絵とともに脳裏をよぎるのだった。

 夕べ、NHKのBSで「新・街道をゆく」という新シリーズが放送されていた。俳優の岡田准一さんが「街道をゆく」を片手に、そのゆかりの地を巡るというもので、そりゃ司馬オタクのワルシャワとしては見ないわけにはいきまへんで。

 今回は第42巻」の『三浦半島記』がテーマだった。今、NHK大河で「鎌倉殿の13人」をやっているので、半ば番宣のようなかたちで企画したもので、商売だから仕方がないが、その底意にやや品のないものを感じてしまう。

 とは言えベースは司馬遼太郎である。品格も格調もそろっているから、NHKの下品さを消して余りあった。

三浦半島記』の中で、司馬さんは日本の海軍がもっていた「海軍士官は、スマートであれ」という一語に感銘を受けたことを記している。司馬さん自身は、満洲で陸軍戦車部隊の士官として軍隊生活を送ったわけだけれども、精神論ばかりの陸軍の体質を忌み嫌っていた。その反動で海軍のこの英国式を過大評価しているとも言われている。

 それは今日の趣旨ではないのでとくに触れない。番組は進み、終盤のことである。三浦半島に生きる人々の風景に重ねて、司馬さんの文章が紹介される。これは『三浦半島記』からのものではなく、中央公論社の『ある運命について』からの引用だった。

 ワシャもそれをちょいと引いておく。

《人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳でもある自分自身を見つけるには、書斎の思案だけではどうにもならない。地域によって時代によってさまざまな変容を遂げている自分自身に出遭うには、そこにかつて居た―あるいは現在もいる―山川草木のなかに分け入って、ともかくも立って見なければならない。》

 まだ続くんですよ。

《たとえ廃墟になっていて一塊の土くれしかなくても、その場所にしかない天があり、風のにおいがあるかぎり、かつて構築されたすばらしい文化を見ることができる》

 ここですわ。

「その場所しかない天があり、風のにおいがある・・・」

「風のにおいが立つ」から、「風の音と立秋」をつないだ蛇笏の句を思い出したんですね。

 

 朝、起き抜けにシャワーを浴びたんですが、北に開いた窓からの空気がヒンヤリと感じました。秋ですわ~。