SDGsはまやかし

 ワシャは「SDGs」というものが嫌いだ。そもそも国連主導でやっていることからして胡散臭い。国連の常任理事国を考えてみてくだされ。支那にロシヤが入っている。それに米英仏三か国が加わり、欧米中心、支露横暴で動くのが国連と言っていい。今回のウクライナ戦争で、まったく国連が機能していないことでもその馬脚を顕したことはしっかりと記憶しておきましょう。

 さてここでSDGs信者の発言を見ておこう。

二酸化炭素を減らすためにSDGsが必要だ」

 これですわ。二酸化炭素が原因で地球が温暖化しているというのが、ベースにあるわけで、それは一つの要因かもしれないけれど、太陽の存在を忘れてはいけないと、この日記にも度々書いている。太陽は制御可能な暖房器具ではない。自然に燃えているもので、ときには熱くなったり冷めてきたりして、それが地球という惑星に影響を与えている。

 まあいいや。では二酸化炭素が若干でも影響していると信者の意見を取り入れてみよう。信者はこうもっともらしく数字を並べる。

「日本の二酸化炭素排出量の14.6%家庭部門が占める。だから国民一人一人が二酸化炭素削減に必死になれ」という。

 いやはや、これもちょいと違うんじゃないのか?そもそも日本の炭素排出量は全地球の人間が排出する二酸化炭素の5%もあったかどうか。5%×14.6%=0.73%って、誤差の内でしかない。国連常任理事国アメリカ、支那はガンガン二酸化炭素を排出して工業力を高めているし、ロシヤにいたっては脱炭素なんて全く無視で、ミサイルや爆弾をボンボコ燃やして二酸化炭素を大量に排出している。この状況で科学的に説得力のない「地球温暖化」で、1%に満たない排出量の日本国民は汲々としてSDGsに励んでいる。

 0.73%はあくまでも人的由来で、地球では海洋も大地も二酸化炭素を大量に吐き出している。いいですか、それから考えたら日本国民の排出など限りなく0に近いと思ってもらっていい。

 SDGs信者はこう説得してくる。

「SDGsは国連や各国政府が取り組むだけではいけません」

 その国連が胡散臭いっちゅうの。

「世界の一人ひとりが自分のこととして取り組んでこそ、達成できる目標です」

 これですわ。

「世界はひとつ、人類は兄弟」って、このお題目が間違っている。「世界の一人ひとり」ではなくて、「脳天気でお人よしの日本人と日本国だけが取り組んで目標達成して国力を落としてくれ」と言っているのだ。

 支那の16億の人民がSDGsなんかこれっぽっちも考えているものか。

 また、2020年7月1日からプラスチック製買物袋の有料化したでしょ。あれがどれほどの効果を与えているのか?ワシャ的に言えば、有料の袋を買うようになっただけで、買い物のたびに5円余分に取られるだけで、まったく変化はない。さらに言えば、大量に売り出されたマイバックを作るのにどれほどの二酸化炭素が排出されたことか。小さなところを環境だとか脱炭素で攻めて産業を潰してしまう。割り箸でもそうだったですよね。間伐材を使って割り箸製造をしていた業者はことごとく潰されて、今や割り箸の大半は支那製に置き換わってしまった。レジ袋だって同じでしょう。

 太陽光発電でもそのいかがわしさは尋常ではない。太陽光パネル支那製で、作るのは支那ですが、廃棄するのは持ち込んだ日本国内でやらなけれならない。パネルを分別し、有害物質を除いて、自然に返すのにどれほどの二酸化炭素が排出されることか。

 そして不安定な太陽光発電を補完するために通常の発電が必要だってんだから笑い話ではないか。

 支那で大量の二酸化炭素を出して製造したパネルを船で二酸化炭素を題して運んで、トラックで二酸化炭素を出して運んで、二酸化炭素を出してパネル設置をする。二酸化炭素を吸収する樹木を伐採して山野にパネルを敷き詰めて、なにが脱炭素やねん。

 信者は信者だ。

「SDGsは偏った胡散臭い目標である、という考えを強く持ってはいけません。その考え方こそ『偏った考え』になってしまうんですよ」

 こちとらの言うことを偏見だと決めつける。昔、新興宗教の勧誘で似たようなセリフを聞いたなぁ。あ、学生時代にオルグされかけたときにもこんな話を耳にした。 違うんだ、信者の皆さん。多くのSDGs懐疑論を展開する人達は、SDGsの現実を正しく認識した上で、問題点を指摘している。その考えを「偏った考え」と決めつけず、テメエらが「偏った考え」であることを意識してくだされ。

 ジャーナリストの有本香さんが、SDGsを「かたちを変えた共産主義」と表現された。う~む、言い得て妙である。まさに「民青」がワシャを勧誘した時の胡散臭さとSDGsのいかがわしさは類型的である。

 そうか、SDGsは共産主義の亜流だったのだ。なるほど。