国連安保理で支那中国、朝鮮半島が結託して日本批判を展開した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014013000020
場もわきまえず、特定アジア3国が水面下で示し合わせてのバッシングである。いつでもどこでも反日反日、ホントに厭きない連中だな。これでどこの国が日本の敵かよくわかるでしょ。
おそらく何百年経過しても、支那朝鮮の人々に日本・日本人は理解できまい。一神教である共産党主義や独裁者崇拝をしている時点で、多神教で2000年も過ごしてきた日本とは思考回路そのものが違っている。さらに、支那でもそうなのだが、朝鮮にいたっては、古代から現代まで960回も異民族に侵略された屈辱の歴史を持つ。常に多民族から襲撃を恐れながらの2000年は民族を、猜疑心の深い自己主張の強い人間性に育てるのには十分な時間だったろう。
かたや日本人はというと、それこそ身の回りのものすべてに神の兆しを感じて生きてきた不思議な民族である。この状況を作家の豊田有恒さんは「多神教のガラパゴス」と呼んでいるが、日本のように八百万のも神々が、それこそ町の辻ごとにおわすます国というのはまことに珍しい。
そもそも宗教には重要な要素がある。それは「教義」と「儀礼」と「布教」の3つなんだけれど、神道にはこの宗教定義があてはまらない。きっと皆さんもこの1月、どこかしらの神社に初詣に行かれたと思うが、「教義」なんて考えなかったでしょ。せいぜい「儀礼」としてお賽銭と二礼二拍一礼をしたくらいのことだと思う。この程度で簡単に神とつながってしまう神道は、宗教行為とあまりにもかけ離れていると言わざるをえない。
国連の場で、日本を貶めた国々はどうか。支那中国については「共産主義」というドグマに支配されているし、北朝鮮はまさに一神教で、唯一神に逆らえば、犬に噛み殺される国なのである。
彼我で同じ価値感、同じ文化レベル、同じ歴史認識を共有できるんだと錯覚していてはいけない。まったく日本人とは別物と対峙しているのだ。千年たっても相互理解など難しいのだ、という自覚を持てば、福島瑞穂や田嶋陽子のような愚論を吐かずに済む。
特定アジアの国々に遠慮という概念はない。それを認識しして「言うべきは言う」「誇るべきは誇る」、例えば「STAP細胞」を生み出した理化学研究所の小保方晴子さんの存在は、彼の国に大いに誇ろうではありませんか。
そろそろ国連の場で悪口を並べ立てているばかりでなく、小保方さんのようなポジティブな話題を披露しあい、そういった建設的なところで勝負していきませんか。無理だと思うけど。
今、安倍首相がインドとの交流を進めている。いいことだ。『戦国策』にある「遠交近攻」を実践しているのだ。近い支那、朝鮮とは利害が突き当たるし、利を得るに無遠慮な国々でもある。とすれば、傍若無人な「近」は適当にあしらっておいて、少なくとも民主主義を国是とする親日の「遠」と交わった方がいい。
このところの安倍首相の精力的な外交を見ていると、その前の3人の首相が何もしていなかったということがよくわかる。
※まだこの時期は小保方さんの嘘に騙されてたのね〜(20141228)