絵に描いた餅

 今朝の朝日新聞。「もっと教えて!ドラえもん」の拡大版である。今日は「SDGsくらしとつながり」と題し、まさに「SDGs」(エスディージーズ)について解説をしている。

「SDGs」。2015年に国連にはいるすべての国が、人々のくらしを保障しながら、平和と地球の環境を守る「持続可能な開発目標」というお題目をまとめた。これを2030年までに達成するそうなんだけど、そもそも国連加盟国すべてが・・・というところで、まず胡散臭さを感じずにはいられない。

「1 貧困をなくそう」

 ご苦労様。

「2 飢餓をゼロに」

 ウイグル絶滅収容所にいれられているウイグル人に食料を届けてみろよ。

「3 すべての人に健康と福祉を」

 支那中国の10億人の奴隷の解放をしてから言え。

「4 質の高い教育をみんなに」

 理想はけっこうだけど・・・。

「5 ジェンダー平等を実現しよう」

 これは後ほど、別建てで触れたい。

「6 安全な水とトイレを世界中に」

 世界中を日本にしようということなのだが、物理的に不可能だろう。

「7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに」

 アメリカや支那中国がどの口で言う・・・という感じだが、この目標の根底にある「CO2悪玉説」が具体的な話でないところに説得力がない。

「8 働きがいも経済成長も」

 支那中国の10億人の奴隷を解放してから言え。

「9 産業と技術革新の基礎をつくろう」

 それがやれるのは先進国のいくつかだけでしょうね。そしてそれは先進国が独占してその利は一部の資本家に独占される。

10 人や国の不平等をなくそう」

 そんなことは神様でもできない。

11 住み続けられるまちづくりを」

 なんだか急に目標が小さくなったなぁ。神の領域から基礎自治体の話になっている。

12 つくる責任 つかう責任」

 責任をもってそれを実践できるのは聖人しかいない。いやいやお釈迦様でも子供をつくったけれど責任を放棄してしまった。聖人にも無理だ。

13 気候変動に具体的な対策を」

 気候変動の具体的な根拠を。

14 海の豊かさを守ろう」

 公海で魚を根こそぎ盗っていく支那漁船団にまず言え。

15 緑の豊かさを守ろう」

 それはけっこうなことだが、地球上には砂漠が4分の1(36億ヘクタール)もある。そこに緑がないのは当然のことだが、このように緑のあるところとないところの差は厳然として横たわっている。そしてその砂漠の下から石油が出てくると、その砂漠国は突然金満国になって国民は税金を払わなくていい。これは国それぞれの特性によるもので、このことがある限り「10 人や国の不平等をなくそう」が実現することは永遠にない。 

16 平和と公正をすべての人に」

 だから、「SDGs」の宣言に同意した中国共産党はこの目標を1ミリも実現できない。

17 パートナーシップで目標を実現しよう」

 どこと?

 

 こんなお花畑な理想をどれだけ活字にしても、絵に描いた餅ではぜったいに腹はふくれない。

 朝日のドラえもんは言う。

「SDGsはいろんな問題が根っこでつながっていることに注目し、まとめて考えながら解決しようとしているんだ」

 そりゃ国際情勢は、すべてがつながっている。そんなことは当たり前だよね。

「食べ物をむだにしない、ゴミを減らす、買い物のしかたを変える、節電や節水をする」

 それを国民に強いるのも結構。これまでも環境原理主義者たちの言説にだまされて、日本人は意味のない行動を取らされてきた。

 朝日新聞は、年末の29日から一面トップを「カナリアの歌」という特集で埋めているが、SDGsに添うならば、国際情勢を一面に持ってくるべきではないのか。「女子大生の就活(29日)」、「司葉子さんの自宅の蔵書(31日)」も大事だろう。だが、「ウイグル人の悲劇」、「香港人の苦闘」、「イランの混沌」など、そちらの現状をタイムリーに届けるのがSDGsを掲げる報道の役割ではないのか。

 

 上記のドラえもんと呼応して迷物コラムの「日曜に想う」もSDGsである。編集委員はのっけからこう書く。

《男女の平等という点で日本は153カ国の中で121番目。(中略)今のペースで男女が平等になるまであと何年かかるかという試算もしてうる。世界でもっとも歩みが遅い東アジア・太平洋地域では163年後。その中でさえ日本は遅れている。》

「5 ジェンダー平等を実現しよう」を冒頭にもってきて、その他にも「物質的剥奪指数」、「若者の誇り」、「65歳以上の生活苦世帯」などを並べて《多くの人が取り残され、取り残されそうな社会》と嘆いてみせる。

 途中から、元国連大使という人物を登場させ《約10年前に海外から帰国した時「愕然とした」という。久しぶりの日本は子どもの虐待、DVの増加、高齢者の孤独死、非正規雇用の広がりなどのニュースであふれていた。》と語る。

 元国連大使が帰国したのが2011年であるから、海外に出たのは2001年頃ということになる。おいおい、2001年でも虐待、DV、孤独死、非正規雇用の問題は数多あったのだ。それに国連大使なら日本社会にも注意を払っておけよ。帰ってきて「愕然」とするな。

 ジェンダー平等について言えば、支那中国や北朝鮮は日本よりも高位に位置づけられている。しかし、10億の支那人が、日本人よりも幸福を享受しているかといえば、絶対にそんなことはあり得ない。

 一面だけを切り取ってSDGsを語るなよ(怒)。

 

 そして結びの文章で、萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言を槍玉に挙げている。「端境期なのでご理解を」発言に対しても、編集委員はクレームをつける。

《「誰も取り残されない」社会はつくれないというに等しい。これは政治の敗北宣言にほかならない。》

 自由主義経済下において、富むものとそうではないものの差は出てしまう。例えば逃亡者が保釈金として払った金は15億円である。ワシャが10回生まれ変わったとしても払えない額である。それに後ろ足で砂をかけてレバノンに逃げていった。そういうことなのだ。カルロス・ゴーンとワシャには大きな差があって、だからワシャは身の丈にあった生活をしている。そしてそれがとくに悲しいとか困ったとか思わない。車寅次郎には、彼なりの生き様があって、それを地位も名誉も財産も持っている画家や陶芸家がうらやましいと思うのである。

「身の丈」発言、結構じゃないか。「端境期」発言も、人生には時として思いもしない展開に晒されることはあるので、それを受け入れながら、その中でどう最善をつくしていくか、それが重要だと大臣は言っている。

 編集委員は「誰も取り残されない社会を実現しろ」と政治家に迫る。もちろん理想としてはそこを目指すべきだが、政治家は朝日新聞と違って、現実も直視して、今、最善の策を講じていかなければならない。

 

 いつまでも餅の絵を描いているのではなく、実際に餅を搗いて購読者に提供してみろよ。