一昨日の昼前に、岡崎市の県道で91歳の高齢者の運転する軽4貨物に、自転車に乗っていた91歳の高齢者がはねられて死亡した。そんなローカルなニュースが朝日新聞の地方版に小さく載っている。記事には、3つの地名が出てくる。事故現場の岡崎市土井町、ここを通過する県道というからおそらく県道岡崎桜井線であろう。被害者の住所が牧御堂町とある。牧御堂は土井の北に隣接する町だ。でね、加害者の住所が井内町と付記してあって、そこも土井町、牧御堂町と隣接している。要は半径300mくらいの場所で事件が起きた。想像の域を出ないけれど、加害者も被害者も91歳ということで同級生か、そうでなくとも地元の老人クラブやコミュニティでは顔を合せていた可能性もある。苗字も岡崎あたりにけっこうある地のものなので、おそらく距離感から言って顔見知りではなかったか?
そのくらい狭いエリアの悲劇だった。残念なことだが、加害者のほうが、運転免許証を返納していればと思うし、被害者は責められないけれど、せめてヘルメットをかぶっていれば、脳への衝撃は緩和されていただろうに。
ワシャの老父は、80歳になって免許返納をしてしまった。今は電動自転車を購入してそれで買い物などに出かけているが、認証付きの軽量ヘルメットを必ずかぶって自転車に乗っている。 加害者も被害者もまだすべきことがあったことが惜しまれる。しかし、たまたま同時刻に両者が県道で出くわしてしまった偶然は、神のみぞ知る「運命」だったのかもしれない。
かたや巨大な衝突がアジアの西の向こうで起きようとしている。これは「神のみぞ知る」ということではなく、完全に愚かな人間の仕組んだ必然であって、それ以外の何ものでもない。
浅はかな人間どもが、浅智恵でこね回すから悲劇が拡大する。権力欲に憑りつかれた独裁者が領土拡大を図るのは、過去の歴史を少し読み込めばバカにでも見えてくる現実で、プーチンや習近平に限らず、世界の独裁者たちは、過去も現在も未来も、みな同じ思考方法を持っていると言っていい。
岡崎市の小さな衝突は予期できないが、ウクライナでも巨大な軍事衝突は、もう10年も前から既成事実としてあった。ところが、愚者たちの思惑や、その愚者を選ぶ国民が愚者で、グシャグシャにしてしまって今の危機が生じている。
まぁそれが人間の歴史と言ってしまえば一言もないのだが、それでもそんなグシャグシャの中にも一燈の光明を見出したいのも人間である。
ウクライナの衝突は偶然に起きるものではない。必ずやその背後には狂言作家が存在する。その作家が物語を悲劇にするか、喜劇にするか……。
今のところは悲劇のような気がするなぁ。