大切なものが消えていく

 ワシャの通勤路に小道があるのだが、そこに民家の庭から大きく樹木の枝が張り出している。広い幹線の交差点の手前にあるので、夏などは、その日陰が信号待ちの格好の退避場所になっていた。
 昨日、たまたま通りかかったら、その樹木が道路境界でばっさりと切り落とされていた。嗚呼、無残なり。ワシャを含めて通勤、通学、買い物にいく人たちが、30年はお世話になった木陰である。それが無くなってしまった。
 確かに道路にはみ出してはいたが、自転車が通行するのに支障はなかったし、車も問題なかったと思うけどなぁ……。でも、誰かが道路管理者にちくったんだろう。確かに、公共空間にはみ出している私有地の樹木は、その部分を伐採するのが筋だろう。でもね、それが通行する人たちに、一服の涼を与えていたのであれば、許容されてもいいのではないだろうか。

 街路樹でもそうだ。文化レベルの高い地域は、公共の樹木を大切にしている。落ち葉もそれぞれの樹木の周辺の家の人が、丁寧に拾い集めて片つける。その手間よりも、樹木のある景色、あるいは樹木のつくる木陰のほうが重要なのだ。落ち葉をゴミと考えるか、風情と考えるかで、ずいぶんと違った様相を呈する。
「街路樹の落ち葉が我が家の前にたまって汚い。落葉する前に剪定しろ!」
 とか、クレームでも入ったんでしょうね。毎年、夏の終わりになると、県道沿いの南京はぜは色づく前に強剪定をされて、惨めな姿を晒している。なんだか樹木が哀れである。
 小道の話も、県道の悲劇も、なんだか世知辛い。だんだん、潤いが消えて、からからに乾いた定規で引いたような町が出来上がるんだろう。

 樹木の強剪定と並べるのはどうかとも思ったが、ワシャ的には同じ臭いがしたのでついでに書いちまいます。
 文化を壊す者どもである。結局、こういうことをする。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150227-00000000-jij_afp-int
 異教徒の文化であろうと、敵対した勢力の文物であろうと、歴史に練り上げられたものを粗末に扱う連中には吐き気をもよおす。ましてやそれを破壊する危痴害は嫌悪してあまりある。歴史を大切にしない勢力は、結果として歴史に葬られていく。ISILの底が見えた。