石原さんと下級政治家

 先日、お亡くなりになられた石原慎太郎さんが、20年ほど前に中曽根元総理大臣と対談をした。それが『この日本をどうする』(文藝春秋)に載っていて、その中の話が面白かったんで記録しておきたい。

 首相だった当時の中曽根さんが予算委員会共産党を手玉にとったことがあった。そのことを石原さんが覚えていてこう言った。

《中曽根さんは、「共産党はこういうだろうけれど、それはこう違う」と機先を制したら共産党は反論せずに苦笑いしていた。いまでも印象的なんだけれど、つまり言葉を持っている政治家は大切ですね。言葉を持っていない政治家はあまりしゃべらない方がいい。岸田くんみたいにペラペラ役人の言葉でしゃべったって、役人は感心しても、全然印象として伝わってこないんで、》

 失礼、誤字がありました。「岸田くん」ではなくて「橋本龍ちゃん」でした(笑)。

 

 政治家って、善し悪しがあって、上は総理大臣から下は市町村議員まで、政治家というやつは押し並べて出来が悪い。もちろん石原慎太郎さんや中曽根康弘さんは「善し」のほうに入る希少な存在だ。現実にはそうではない「悪し」の政治家が多いんですね。残念ながら現在までの採点では岸田首相は「悪し」の部類に入れざるをえない。

 なぜか?

 聞く耳を持っているのはいいことであろう。しかし、なにを聞いても的確に国益を考え、国益に沿って決断のできる確固たる信念を持っていなければダメだ。

 ワシャは岸田首相の演説を生で聴いたけれども、その頃定番だったノートをかざして空疎な公約を話していたっけ。ペラペラ役人のペラペラ言葉でね。

 石原さん、中曽根さんのように寸鉄人を刺す言葉をお話しなさいな。演説が眠気を誘うようなことではあきまへんで。

 

 それは岸田さんだけのことではなくて、多くの政治家たちにも言えることで、石原さんの言うとおり「言葉を持っている政治家」が少ないんでしょうね。

 

 このオッサンなんかも典型的なできの悪い政治家というか、政治に寄生した活動家と言える。ソ連の独裁者の名前を持つヨシフ・アリターリンこと有田芳生参議院議員である。この人が石原さんの死去のニュースを受けて、こうツイートしている。

石原慎太郎さんは、断食の場所が同じでした。直接の出会いでいえば、最初は統一教会に選挙を妨害されたときのことを取材、戻ってきた原稿が悪筆で読めずに苦労しました。テレビでインタビューしたときは東條英機を痛烈に批判、数々の乱暴な物言いですが、気の小さな人でした。》

 亡くなられた直後にツイッターに上げる文章がこれかい(怒)。わずか124字の中で2回も故人を貶めている。こういった時節、場所柄の弁えがない人間が国会議員で何億ももらっているかと思うと情けなくなる。この人物、「悪し」の中でも最果てのほうに位置しているぞ。

 石原さんの字を何かの折に見たことがあるけれど、もちろん、書道家のような達筆ではないにしろ、右肩上がりの味のある字を書いておられた。ワシャはその字が読めましたぞ。読めない有田ーリンが脳タリンじゃないの?

 さらに言えば「気の小さな人でした」って何を根拠に言っているのだろう。「尖閣を東京都が買う」とか「豊洲移転を実行する」とか、数々の政策判断は気の小さい首長では決断ができない。おそらアリターリンだったら絶対にできなかった。テメエの小心と客観的に比べてみれば、どれほど石原さんが度量のある人であるか理解できるんだけど、お花畑サヨクの典型のようなアリターリンには気付くこともできなかったのだろう。左翼活動家に多いのだけれど、横柄で高圧的で攻撃的な態度を取ることが権力に物申しているんだと勘違いをしているのが多い。違う。権力側、行政側に横柄で高圧的で攻撃的な物言いをしても結果は不毛なだけなのだ。

 石原さんはけっしてそんなことはしなかった。霞が関の官僚に対しても、都庁の役人に対しても敬意をもって対しながら、言葉で理解しあって仕事を進めてきた。ここはさすがに作家という言葉を扱う方だけのことはあった。

 おそらくアリターリンが「気が小さい」と見間違えたのは「気配り」だったと思える。石原さん独得の、周囲に対する配慮、部下に対する気遣い、来客に対する心配りが、スターリンのように威張り散らすこと、仲間を粛正することしかできなかった恥ずべき人物の名を持つ人には理解できなかったようだ。

 こんなのが「政治家でござい」とばかりに上のほうに居座って高給を蝕んでいる。日本ってホントいい国ですね(泣)。

 アリターリンは「繊細」という言葉を知らないんだね。だから「気が小さい」という自分の知っている言葉を使った。頭がお花畑だから語彙を増やす努力を怠ったんでしょうかね(笑)。

 石原慎太郎さんは繊細な心を持つ第一級の政治家だった。