平和の毒、日本よ

 昨日、橋下徹氏の言った「パッケージ保守」について持論を述べた。橋下氏、「パッケージ保守」なるものを馬鹿にしながら、自身を評価してくれる石原慎太郎さんは「パッケージ保守」ではないと擁護していた。 でもね、傍から見ていると石原さんの発言も、橋下氏が揶揄する「パッケージ保守」の主張もそれほどの差がないように感じる。

「皇室、男系男子、靖国無条件参拝、戦争指導者の責任は問わない、憲法9条改正、場合によっては核兵器を持つか、中国嫌い、伝統的家族論、別姓反対、同性婚反対」

 橋下氏が挙げた「パッケージ」であるが、これらは石原さんの言っていることとそれほど違ってはいないと思っている。

 そのあたりを再確認しようと思って、書庫から石原本を引っ張り出してきて読んでいるんですよ。2月と3月に大きな会議が2つあって、合わせて1時間20分を埋めなければいけない。性懲りもなくどちらにも発言をしようと思っているんですね(笑)。その期日が近づいているので、準備をしなければならないんですが、巨星の退場にやや感傷的になっていて、なかなかそちらに意識がシフトしていかない。

 気を取り直して・・・。

 平成18年から平成24年にかけて産経新聞に掲載された石原さんの意見がまとめられている本がある。『平和の毒、日本よ』というもので、これがなかなかおもしろい。

 例えば、石原さんは官僚や都職員の優秀さを認めながらもこう言っている。

《官僚制度は日本が近代国家として進むための絶対条件であったことは自明である。しかしそれが行政の主体者として自らを絶対化してしまうと国家の舵取りは硬直し、進路を過ちかねない。》

 確かにこれは、官僚のみならず、地方の行政マンにも言えることであろう。行政マンが自分たちを絶対化すること、これは弊害以外のなにものでもない。 石原さんが、先日の「プライムニュース」の過去の映像の中でも言っていたが、官僚批判する際に、口にされるのが「継続性」「一貫性」ということであった。そのことに触れたフレーズがあるので引いておく。

《私が閣僚を務めた時、いつも彼等自身から聞かされた彼等の美点?なるものは、継続性(コンティニュイティ)と一貫性(コンシステンシー)ということだったが、変化の厳しいこの現代に、そんな姿勢で変化に対応できる訳がない。》

 この本では「地方分権」「日・米・中の問題」「憲法」「オリンピック」「靖国」「尖閣」「原発」「天皇陛下」などなど多岐にわたって石原さんの思想に触れることができる。是非とも政治、行政に関わる人で、まだ己の進むべき方向が見いだせない人にはお勧めの一冊だと思う。保守でなくともいい、アンチでも構わないから、「日本にはこういった思いをもった政治家がいたんだな」ということを理解してもらうだけでいいと思う。少なくとも、石原さんが務めた同じ知事職にある連中(もちろん全部ではない)の不甲斐なさが見えてくる。それだけでもおもしろいと思いますよ。