石原慎太郎『男の粋な生き方』(幻冬舎)を読んでいる。帯に《タフであれ。優しくあれ。何ももらわぬ勝者であれ。》《人生を切り開く「覚悟」が定まる全28章!》とあって、これが啓発本の一種であることがわかる。この年齢になってもワシャは新入社員が読むような本を座右に置いているんですな。人生が後半に入っていて、というか第三コーナーを回ったというのに、まだ己の生き方が定まっていないとは、情けないやっちゃ(自嘲)。

 この本の第一章が「酒について」である。石原さんは言う。

《タフに生きていくためには、時々何かに酔わなくちゃならぬことがあるよな、特に男は。何だろうとイントクシケイション、酩酊というのはその瞬間は人間を助けてくれるものだ。》

 銀座あたりの高級クラブのカウンターで、石原さんがグラスを傾けているなんざ格好いいですよね。石原さんほど酒が似合う政治家もいなかったろう。

 石原さんは指摘する。「カクテルを知らない酒飲みは幼稚な酒飲みでしかない」と。

 ううむ、ワシャは石原さんに言われるまでもなく、幼稚な酒飲みですらない。何十年と酒席に顔を出し続けているが、酒自体を美味いと思って飲んだことはなかった。

 いや、そりゃ言いますよ。ビールを最初にぐっと上げた時に「プハーッ!うめえ!」とね。

 熱燗でも品のいい女性に楚々と注がれて呑む一献はこれもたまらなく美味ですなぁ~。

 でもね、酒の種類なんざどうでもいいんでさぁ。焼酎なら芋の湯割りでいい。ビールならよく冷えていて、グラスが生臭くなければ文句は言わない。

 日本酒なら熱燗、飛切燗であればよく、銘柄にそれほどこだわらず飲んでいる。ただし最近流行っているフルーティーなものはいただけない。「酒」という感じがしないのである。

 もちろんカクテルなんかはまったく縁がない。そもそもそういった酒類を扱う店に行かないのである。料理屋、居酒屋、焼肉屋なんてところが主流で、そういった店で、カクテルを扱っているところもあるけれど、よほど頼んだことはない。

 酒というより、その場が好きなのかもしれない。とはいっても、当たりはずれがあって、一刻も早く座を離れたい宴もあるが、そういった時の酒のまずさは飛び切りである。獺祭が出ても、八海山がならんでも、必ず不味い。

 石原さんは言う。

《日本人はあまりカクテルを飲まないが、カクテルというのは複数の酒を混ぜたものだ。酒に限らずものを混ぜるというのは文化的ということなんだよ。ものが混ざるということで初めてアウフヘーベン、向上があるんだ。》

 カクテル談義からアウフヘーベンが出てくるとは思わなかった。これは酒飲みとしてのレベルが違い過ぎる。

 後段に出てくるエピソードで、石原さんがホテルオークラのメインバーで、ドライマティーニを「出来るかね」と老バーテンダーに尋ねると「もちろん」というから注文した。しかしそれが酷いもので「こんなもの飲めるか」と突き返したところを、とある大会社の社長が偶然目撃したらしい。

「石原はこの頃、少し評判がいいのでいい気になっている。あれは見苦しい」と、知人を介して忠告してきたという。

 これに対して石原さんは、「カクテルが何たるかを知らぬ田舎っぺえだ」と斬り捨てたという。そしていいカクテルをつくることのできるバーテンダーを「一種の芸術家」だと言っている。

 知らない芸術はなかなか理解することができない。絵画でも舞台でもかなり勉強をしてからでないと解らないように。

 そういった意味では、カクテルをまったく知らない(ちょっとはしっていますよ)ワシャなんか、石原さんに言わせれば「田舎っぺえ」の最たるものだろう。でもね、同じ舞台でも、歌舞伎もあれば能、狂言もあり、宝塚だってあるわけで、宝塚に興奮するおばさまたちが必ずしも能を理解していて楽しめるかというと、そうでもないような気がする。そんな感じで酒を楽しめばいいような気がしていますが。(つづく)