かんばせは冬陽仰いで霊車ゆく

 昭和60年にモスクワでつくられた句である。作者は中曽根康弘氏。ソビエトチェルネンコ書記長の葬儀に列席した時のもとなる。

かんばせ」はチェルネンコの顔である。それが心細げなモスクワの陽光を受けつつ霊柩車に乗せられて去って行った、そんな景色を詠んでいる。

 

 歴代の首相の中でも格好のいい首相であった。政治家として毅然としてもいた。中曽根氏は、総理大臣として初めて臨んだ議会の所信表明を《我々は、勇気と英知をもって、この難局を乗り切り、清新の気と、思いやりと連帯感にあふれる「たくましい文化と福祉の国」の建設に、希望を持って立ち上がろうではありませんか。私は、我が国が人類の平和と繁栄に積極的に貢献し、よき隣人として信頼され尊敬され、国際社会において名誉ある地位を占めることをひたすら念願するものであります。》と結んでいる。

中曽根氏の願った「たくましい文化と福祉の国」は21世紀に実現した。世界に冠たる文化国家、社会主義のお手本になる福祉国家(笑)を、日本は造り上げた。そして、特定アジアの3国を除き、国際社会からは尊敬と信頼を集めていることも現実となっている。こういったことも、中曽根氏が政治家としてぶれずに粉骨砕身して日本のために働いたおかげだと思っている。

 彼がマッカーサーに宛てて意見書を出した内容は「日本の自主的自衛」であった。まさにそれが70年を経て、現実に必要となっているのである。また、彼が断行した国鉄民営化などの施策があってこそ、現在のJRやNTTのサービスがある。中曽根氏が首相になる前なんか、国鉄の職員に「電車がどのホームからでるのか?」と問うても、平然と無視をされた。サービスの「サ」の字もない親方日の丸会社をぶっ壊した功績は大きい。せっかくならあの時にNHKもぶっ壊しておけばよかったのにね。

 

 ワシャは政治家、とくにリーダーとなる者は格好良くなければいけないと思っている。それは見た目もそうなのだが、生き様としてもスマートで毅然としていることが問われると思っている。その点で中曽根氏は、海軍将校として軍役にもついているので、背筋がしっかりと伸びている。風見鶏などと揶揄されたけれど、「独立自尊」の意気などは、他の短命首相の追随を許さない。

 

 中曽根氏のかんばせは、モスクワではなく関東の冬陽を仰いでゆかれるのだろう。