たまには朝日もいいじゃないか(笑)

 今朝の朝日新聞はおもしろいネタが多かった。とはいえ「天性チンコ」ではないことは言うまでもないが(笑)。

「声」欄の右肩がよかった。68歳の医師の方の投稿なのだが、題して《コロナ禍で失った大切なもの》。

 90代でご健在の父上が高齢者施設に入っておられるのだが、そのことを通じて考えたことを縷々述べられている。

「コロナが怖いから人とふれ合うのをやめよう、という考えで生活しているのがコロナ禍ともいえる」

「高齢者と肉親との語らいの場や患者と近しい人の慰めの場、行事や娯楽は失われた。人の病や死への恐れと不安は、喜びや楽しみ、癒しの場をかくも失ってよしとしている」

「しかし、こうした大切な喜怒哀楽の場が失われたのがコロナ禍であることを忘れてはならない」

 この医師が父上に会ったのが1年半ぶりだったという。90歳を超えた父上は肉親に会いたいに決まっているが、クソ武漢ウイルスがそれを阻んできた。さて、クソ武漢ウイルスはアルファからデルタへ、習株はテドロスの忖度ですっ飛ばされオミクロンとなった。オミクロン、ただの風邪である。バタバタと人が倒れていった武漢発生当時の危険な株ではなくなっているにも関わらず、相変わらずマスコミのコロナ報道は、「危険だ危険だ危険だ!」というものであり、テレビニュースにすぐに影響を受ける知事たちも顔色を変えて記者会見に臨んでいる。

 そのことに対してこの医師は「アホか」と言っている。現場の医師の投稿だけに説得力がありますね。

 父上にとって当初の武漢ウイルスは危険極まりないもので、当然、一定期間の外部との接触をさけることは妥当な判断だと思う。しかし、シューを飛ばしオミクロンになった今、果たしてそのド神経質な対応がまともなのかどうか?

 90代の父上を親族が度々見舞って「父さん、元気そうじゃないか」と声を掛けてやることが父上の健康を増進させる。生きる気力が湧くのである。それをこれほどまで軽症化しているにも関わらず、二類から五類に落とすこともしない。賢明な医療関係者は疑義を呈しているぞ。

 ワシャにも高齢の父母がいる。例年、正月は新年会を実施する。そこには子、孫、ひ孫などが集まってくるんだけど、父母の年齢を考え、昨年は中止にした。父も母もそれがとても残念だったらしく、「新年会をやりたいねぇ」と何度も言われたものである。

 だから今年は実施した。キッチン、リビング、和室までぶっ通しにして、キッチンの換気扇を2つ、さらに南側の窓を開けて扇風機を外に向けて回す。部屋の周囲にある6つの窓は細目に開けて換気をする。それだけではオミクロンには感染せずとも風邪を引いてしまうので、石油ストーブを4つ、ファンヒーターを2つ、電気ストーブを2つ、さらにエアコンまでつけて暖を確保した。

 それでも風が通るから少し寒かったが、みんなで楽しい時間を共有したんですね。

 ここで投稿者の言を借りたい。

 大切な喜怒哀楽の場が失われていいのか!為政者どもしっかりと考えろ。フニャチン岸田、お前が漢であるところを見せてみろ。

 

 いかんいかん、1つ目のネタで興奮して1200字も書きなぐってしまった。

 もうひとつのネタは、これも興味深いネタなので、明日、書きたいと思います。でも、明日になってまたおもしろいネタが出てくるとそっちに引っ張られてしまうのが心配でゲス。

 それでは仕事に行ってきます。