昨日の続きなんだけど、朝日新聞には1面に哲学者の鷲田清一氏の「折々のことば」という小さなコーナーがある。2279回を数えるのだが、昨日の「ことば」が良かった。
「何をそんなに脅えているんですか?」
評論家の芹沢俊介氏の言である。相手の反応が激烈な場合、まぁ役所の窓口なんかでよくあるやつなんですけど、とにかく大声で喚きまくって己の正当性を主張するクレーマーですな。こういう輩に静かな言い方でこう応じる。
このことに鷲田氏は言う。
「怒りにまかせ、吐き捨てるように何かを口走る時、当の自分もまた何かに不安を覚え焦っているのではないか・・・」
まさに言われるとおりで、不安があるから人は怒る。図星を射されたから慌てふためく。
「何をそんなに脅えているのか?」をベースに埼玉県ふじみ野市の危痴害を見てみよう。日常的に「怒りにまかせ、吐き捨てるように悪口をつらね」ていたことはいろいろな証言からも明らかで、この危痴害が常に「不安を覚え、焦り、脅えていた」ことが読み取れる。
66歳にもなって、母親に依存していたか。周囲のコミュニティとも断絶していたというから対人恐怖症なのかもしれぬ。さらに猟銃を何丁も所持していたというから、武装していないと生きていくのが恐くて仕方なかったのだろう。
こういう危痴害の存在は、周囲には知られていたのだろう。さらにクリニック側でも「渡辺さんは危ない」くらいの情報は共有していた可能性は高い。昔ならそんな危ない奴は「村八分」にしたり「黙殺」して縁を切るものなのだが、昨今の「人はみな平等なのよ、困った人には手を差し伸べましょうね、人権がもっとも大切なのよ」という風潮が、こういった危痴害をのさばらせる要因だと考えている。犯罪者に普通のまじめに生きる人と同様の人権などあるわけがない。地域を乱す者、理不尽を通す者に、一般人と同様の人権を認めていいのだろうか? 危痴害どもの人権を守ったがために、医師として他者のために必死に仕事をする賢明な人が殺される。普通に真面目に生きてきた人が何人も危痴害の妄想に巻き込まれて亡くなられる。
このところ発生している多くの人を巻き込む放火事件など、さかのぼって考えれば犯人の異常さに周囲の人間は気がついているはずだ。ただ異常者の異常行動を言い立てると「きれいごとばっかりの人権派」に「人権侵害」だと断罪される。
まともな人を守るためには、異常者を異常者として認めておくことが重要ではないだろうか。異常者に「何をそんなに脅えているんですか?」と声を上げること、地域の人が言えないのなら、警察が代弁してもいい。
とにかく真面目な一般の人の人権をまず守ってくれ。「人権派」と称する偽善者たちよ。