今朝の朝日新聞「声」の欄。「戦争とコロナ どっちが怖い?」と題した神奈川県の88歳の老人の投稿の結論は、「戦争だけは二度と起こしてはならない」である。
年齢から遡れば、終戦時に12歳くらいか。小学校の高学年くらいだから、戦時中の記憶を辿ってこう並べる。
《おしゃれをしようものなら非国民と非難された。》
《雑音まじりのラジオにかじりつくのが唯一の娯楽であった。》
《「欲しがりません勝つまでは」を合言葉に、従順に行動をしていた。》
横浜や鎌倉のお金持ちならいざ知らず、普通の庶民なら、それも小学生ならば、それほどのお洒落はしていないでしょう。普通に接ぎのあたったズボンにお古のシャツくらいのことで、それで「非国民」とは言われまい。
戦前は、天皇陛下でもテレビをご覧にはなれなかった。そもそもないんだから。スマホもパソコンもないのだから、ラジオが唯一の娯楽になるのは時代なのである。渥美清さんはラジオから流れてくる落語で後の名優としての下地をつくった。
「従順に行動していた」って、小学生ですわ。先生の指導で従順に行動するのは当たり前。むしろ、現在の放牧のような小学生の行動のほうが将来を考えると恐ろしいわい。
じいさん、さらに言う。
《多くの国民は衣食住に困らず、スマホ一つで有意義に時を過ごせている。》
バカを言え。スマホを睨んでいることが有意義なわけがなかろう。人生というのはもっと幅広く、奥行きがあるものなのだ。「スマホ一つで有意義」にされてたまるか!
一人ひとりが他を思いやる行動を実践していけばコロナ禍も克服できるとのたまう。そして最後に「戦争だけは二度と起こしてはならない」と言い切る。
仰るとおりですわ。家に引きこもってスマホをやっていれば武漢肺炎もそのうちおさまるでしょうよ。
でもね、「戦争」の認識だけは変えておくんなまし。ご老人が体験された人海戦術と武器の量で戦う「戦争」という概念は20世紀のものである。21世紀の戦争は、サイバー空間や宇宙空間を使って人海戦術なんかまったく使わないんだよ。それに経済戦争はまさにその最中にあり、国際連合やそれに付属する機関において、多数派工作戦が行われている。
左巻きの嫌いな「戦争」というものではないが、お洒落もできず、ラジオも聴けず、奴隷の如く従順でなければ殺される状況が、ウイグル、チベット、内モンゴル、香港では現実に繰り広げられている。
周庭さんが有罪になったが、彼女のこれからの悲惨な人生を考えると、「戦争だけは二度と起こしてはならない」などと脳天気なことを言ってはいられないのだ。
「戦争とコロナ どっちが怖い?」ではない。「戦争とコロナ より中国共産党が怖い!」のである。目を覚ませ。