鼠の話

ひろゆき氏が佐渡金山のユネスコ申請に持論 韓国の反発に「論点ズレてんじゃね?」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/82a45211fcd2d44db5d54ef196b6656535efe96e

 1月26日にも書いたけれど、あれ以降に劇的な動きがありましたね。フニャチンが党内のまともな議員の抵抗を受けて、ちょっとばかり硬くなったか(笑)。

 まぁひろゆき氏の言っていることが正論で、ズレまくりの韓国政府の言うことなんざ聞く必要もないんだけど、フニャチン宏池会のフニャチン議員どもはフニャフニャしまくりなんですね。船底の鼠みたいに、船の揺れに右往左往しているんじゃねえぞ。

 今後も岸田-林ラインの外交には注意が必要だ。

 ここまではマクラね。

 このニュースも昨日から流れっぱなしだ。

《母親死亡で逆恨みか、立てこもり容疑者「謝らせたかった」…仲間の医師「大きな存在失った」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/c139df9ecd094e333d3553bd88ae3d50f2947a03

 実はこんな話は世間には山ほど転がっていて、たまたま猟銃を持っていないだけの話で、66歳をジジイというのは少し憚られるが、映像に映った犯人の顔を見るとしっかりジジイだからジジイと言うけれど、最近は66歳でも若い人が多いので、もう少し見てくれをなんとかしろよジジイ。

 ワシャの地元でも、生活保護だか高齢福祉だか忘れたけれど、窓口担当者に不満を持ったジジイが鍬でパソコンを破壊したという事件があった。また、カウンター脇にある出入の扉を蹴りまくって壊すということも発生している。ある委員では受付で事務の女性を怒鳴っているシーンにも出くわしている。そういったときにはなるべく「うっせーな!」と言うことにしているが、最近では身の危険を感じるようになってきた。それほどクレーマーの危険度が増しているということだと思う。

 このふじみ野市のバカも典型的なバカで、医者に文句を怒鳴っている自分は「理路整然」と言っているつもりなんだろうが、ほぼその内容は破綻していて犬が吠えているのと大差ない。結局、66年も永く生きてきて自分がまったく見えなかったんだね。ご愁傷様(チ~ン)。

 母親が亡くなられた。92歳なら大往生だ。どういう経緯があるにせよ、このシチュエーションでは「先生、ありがとうございました」と、オマエが頭を下げるのが当然なのだが、「誤らせたかった」って、ホント、クレーマーってやつは頭が悪いからね。頭が軽いのでどんどん高みに行っちまう。

 この手の頭軽い系のクレーマーが共通して持っている感覚が「俺様と相手は平等だ」というもの。もちろん「天は人の上に人をのせて人をつくる」・・・間違えた、「天は人の上に人をつくらず」でした・・・ということで、平等でいいんだけれども、それはそれ、社会的に頑張っている人、公に尽力している人、他者のために働いている人、お世話になっている人などに対して敬意を持つのは当たり前じゃないか。

 母親は亡くなったが、その事情は後々検証するとしても、取りあえずは病気の母親のために力を尽くしてくれた医師、先生に対して一定のリスペクトは持てよ。まぁこのリスペクトを持てないところがクレーマーのクレーマーたる所以なんですがね。

 バカの話はこのくらいにしておくけれども、先生と呼ばれる職種の人にはある程度の社会的地位があるんだと認識したほうがいい。ただし、議員は別ですよ。あれは先生ではない(笑)。先生というのは、専門的知見を身につけ他者に対してある一定の指導をできる知識を持っている人のことを言う。大なりは偉大なる科学者から、小なりは子供たちに指導をする教師(ときには変なのが混在していることあるがそれは例外)などに対してある程度上に見るということが重要なのではないか。

 ワシャは、医者は「先生」と呼ぶ。とくにかかりつけの医者は心から「先生」と呼んでいる。教師についてもどんなに若くても「先生」と声掛けをする。それはその人の下に指導を受ける子供たちが存在するからである。

 そして封建主義者の呉智英さんを「先生」と呼んでいる。ご本人を目の前にすると「呉さん」と言ってしまうけれど、他の人に話すときには「呉先生」と言う。

 呉さんは特別だけれども、とにかく社会において一定の「差」はあっていいし、その「差」を自覚できる人がまっとうな社会人と言える。『詩経』にこうある。

「鼠を相(み)れば皮有り、人として儀無からんや」

 鼠ですら皮がついている。人も人としての礼儀をわきまえなくてはいけない・・・と言っている。礼儀を知らぬやつは鼠以下ということで、そういわれれば猟銃男、風貌がなんとなくねずみ男のような・・・。