支那

週刊ポスト」薫風合併特大号の呉智英さんの連載が秀逸だ。

 ノートルダム大聖堂の火災事故から書き起こし、かつて朝日新聞が『ノートルダムのせむし男』を『ノートルダムの男』と珍妙なごまかし表現をしていたことに言及。終戦直後を舞台にしたマンガの中では「ロスケ」というロシヤ兵への蔑称は平気で使われるが、一般的に呼称されていた「支那人」は、すべて「中国人」に変えられている。そこを指摘して呉さんは言う。

《世界共通語である「支那」はそもそも差別語ではない。終戦期の言論統制で「差別認定」されたのだ。ロシヤ人をロスケと呼ぶのは明白な差別だが、それでも免責注を付ければ許される。支那人支那人と呼ぶのは免責注を付けてさえ許されない絶対的差別語なのだろうか。》

 あるマンガでは、登場している東條英機にまで「中国」を使わせている。あの時代、「中国」という言い方は絶対にしない。「支那」でいいのだ。

 そして、歴史認識のある日本人にとって「中国」というのは、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口のことを指す。ワシャは島根県に親戚がいるから、「中国」に親戚がいるのである。

 だからワシャは、混乱を避けるために、中華人民共和国を略して「中国」とは言わない。英語では「ピープルズ リパブリック オブ シナ」と記載されているではないか。「支那」は「支那」でいいと、呉先生は言っている。ワシャもそう思っている。