弥富中学生殺人事件

 愛知県弥富市十四山中学校の殺人事件の続報である。

《「いじめ」訴え未報告 学校が市教委に 中3刺殺》

https://www.asahi.com/articles/DA3S15127619.html

 朝日新聞はケチなんで少ししか読めないから、ざっとまとめると、「学校としてはアンケートをを実施して内容を把握していた」とのっけに書いて、いかにも学校に非があるような書き出しとなっている。殺人を犯した男子生徒は「伊藤君(被害者)にいじめられている」と認識していたという。

 そのいじめの内容が、「生徒会性依拠の応援演説をさせられた」、「仲のいい友達との会話に割り込まれた」、「給食の箸をすぐに渡してくれない」というもの。

 これに対して、学校側は伊藤君に対して「相手の気持ちを考えて行動するように」と指導している。

 その後、教師から男子生徒に対して「大丈夫か?」と何度も声掛けをし、それに対して男子生徒は「大丈夫です」と応じているという。

 この朝日新聞の内容を見ると、この「いじめ」は解決していると考えるのが普通だ。なにしろ本人が「大丈夫た」と言っているのだから。

 論調としては、教育委員会に報告していないことを責めるような内容となっているが、事件になったのでマスコミが騒動にしているが、本人から「大丈夫です」という回答があった時点で、いじめは収束したと見るのが妥当だろう。この程度の案件はそれこそ山ほどあって、それを教育委員会に上げて問題化していくことが正解かどうか?

 ワシャはこの件については、学校サイドの落ち度はないと思っている。

 

 では、何が問題なのか?

 ワシャは小学校5年、6年でかなりひどいいじめにあった。暴力を振るわれることはなかったが、クラスの中で徹底的に孤立していた。校内でも力のあるガキ大将がいて、その少年に嫌われたからである。クラスメートは彼に忖度して、ワシャに声を掛けることはなく、遊びの輪に入れてもらえず、ワシャのものがよく無くなった。

 しかしガキ大将は、悪い奴ではなかった。勉強も運動も学年のトップクラスで、活発なうえに面倒見のいいリーダーだった。人と一緒に遊ぶことが大好きで、だから彼の周りには彼を慕う子どもたちが集まっていた。

 本好きで理屈っぽく、ちょいとばかり秀才君だったものだからプライドばかり高いこまっしゃくれたワシャとは大違いだった。

 おそらく大雑把に言えば、伊藤君は少ない情報を鑑みると、そのガキ大将と同じような感じに受け止めた。

 では、いじめられていたワシャと殺人少年が同じかというと、それは全然違う。ワシャはいじめから脱するために刺身包丁は使わない。非を人に求めるのではなく、自分自身に向けた。柔道の町道場に通い始め、腕力をつけることに専念した。自己中心的な性格をあらためようと、積極的に友達の輪に加わった。

 それから3年後、中学3年でそのガキ大将と同じクラスになったが、そのころはワシャがガキ大将で、昔のガキ大将は見る影もない地味な少年になっていた。もちろんワシャは仕返ししたりはしない。そいつとも楽しい中学校生活を送った。

 殺人少年は卑怯だ。教師も手を差し伸べているにも関わらず、そこには「大丈夫」と応じておきながら、自分の内側では伊藤君を殺害する作戦を練っている。この鬱屈した卑劣な感情をワシャは1ミリも許すことができない。

 少年の凶行を、学校サイドの対応のまずさにあったなどと、責任転嫁しては真実を見誤ってしまう。