http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120711-00001558-yom-soci
滋賀県知事に脅迫状を送った容疑者は、脅迫状にきっちりと住所氏名を記載している。逃げも隠れもしないという意思表示だろう。ある意味でどうどうとしている。
反対に、大津市の教育長の発言は責任回避以外のなにものでもない。昨日の午後の会見で「家庭内でのことも自殺の要因ではないか」との発言をした。それは確かにあるかもしれない。子供とはいえ、人間の置かれている環境というのは複雑なものである。だが、この事件では「葬式ごっこ」というキーワードが出てしまった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120711/crm12071110000003-n1.htm
これが、出た以上、少年の死が「いじめ」によるものであることは明々白々である。
なんとか責任を転嫁して言い逃れようとする教育長、脅迫状に住所氏名を書いて、責任の所在を明らかにした容疑者、どちらが男らしいだろう。
さて「いじめ」の話である。「いじめ」はきわめて卑劣・卑怯な犯罪だ。そのことは、ワシャは身を持って知っている。小学校の時に変わり者ゆえに「いじめ」に遭ったワシャは、「いじめ」に加担した中学生を心から憎む。
「いじめ」という卑劣な犯罪を根絶するためにも、容疑者の言うとおり「加害者への断罪」も時には必要なのかもしれない。
ワシャの瑣末な例を挙げる。
ワシャは小学校低学年の時に転校した。かなり変わった子供だったらしい。らしいというのは、自分では普通だと思っていたからだ。しかし、昔の同級生などに訊くと「おまえは変わったヤツだった」と口を揃えて言われる。周辺の反応から考えると、もしかしたら変わった子供だったのかもしれぬ。
低学年・中学年ではいじめられなかった。周囲の子供が異質なものを認識するまでに知性が高まっていなかったのだろう。
ワシャに対する「いじめ」は5年になって始まった。クラスのボスがあからさまにワシャを疎外しはじめ、周囲の子分どもがそれに追従したのである。ワシャの周囲から友達が去っていくのにさしたる時間を要さなかった。1週間ほどでクラスメートはワシャに背を向けるようになる。いじめの始まりだった。
その後、モノが無くなるようになり、掃除中に意味もなく突き飛ばされたりするようになる。
周囲の子供よりも幾分ませていたワシャは「これはまずい状況だ」と認識した。そこでワシャはある手に出た。学区外にある柔道の町道場の門を叩いたのである。
当時、ワシャはひょろっとした秀才だった。本が好きで暇さえあれば読書をしているようなおとなしい少年だった。親戚からは、男の子のような妹と比較され「兄と妹が逆のようだ」と言われたものである。
それが柔道を始めた。学区外なので、ワシャ学校の児童はいない。もちろん、そこでも隣町からきた青白いやつということで疎外感はあったが、そこは道場である。鬼より怖い師範の目もあるし、有段者の大人たちがたくさんいたので、学校と比べればガキからの干渉は少なく居心地はよかった。
ここで柔道をみっちりとやった。そして、中学生や他校のごつい小学生とも知り合いになった。6年に進級するころには、ずいぶん腕力がついてきたものだった。女の子のようにおとなしかった性格も(ホントですよ)、内面は変わらないが、表面づらはやんちゃな雰囲気が出てきた。
それから半年、雌伏の期間を経て、満を持してクラスのボスに喧嘩を売ったのだ。さすがにむこうはガキ大将である。勝つまではいかない。イーブンが精一杯だった。
しかし、その日から状況が一変した。ワシャに対するいじめは消えたのである。12歳の子どもの浅薄な知恵では、「いじめ」から逃れるためには「暴力」を身につけ「暴力」で対抗するしかなかった。それしか思いつかなかったが、図らずもそれが成功した。
理不尽なことをしてくるヤツに自覚をさせるには、痛い目に合わせることが重要なのだ、ということを少年は学習したのである。あいつをいじめると反撃され、こっちもこっぴどい目に合される、それが浸透すれば誰も手を出してこない。
この阿呆な容疑者のやろうとしたことは、いじめを繰り返す者どもに、外部から物理的な力を加えることで、いじめの根絶をしようと目論んだわけだ。確かに方法は、稚拙でマヌケだったが、なにもせずに手をこまねいて言い訳ばかりしている教育委員会よりもはるかにまともだと思う。
その後、ワシャは腕力をつけるために格闘技やスポーツに没頭した。腕力は中学、高校と上昇していったが、学力は反対に低下していったのだった。そんなもんですわ。