支那メダル

 中国問題グローバル研究所所長の遠藤誉氏がおもしろい分析をしている。

《中国金メダル38でもなお「発展途上国」が鮮明に》 https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20210811-00252673

 ワシャは基本的に支那が日本よりメダルを多くとっても「クヤチー!」とはならない。だって人口が十数倍も違うんだから、運動能力の高い人間だって日本の十数倍はいる勘定だ。オオタニサンも15人くらい存在しても不思議ではないと思っていた。  

 遠藤氏はワシャの認識が違っていることを教えてくれた。遠藤氏は言う。《中国が金メダルを獲ったのは主として個人競技のみ》であると。

 確かに、《支那が金メダルを獲っているのは、ほとんどが個人競技》で《いずれも、14億人いる中国人の中で、誰か一人が努力し才能に恵まれていれば戦える種目である》。そして《野球とかサッカーとかバスケットボールといった団体競技に関しては、中国は完全にと言っていいほど、極端に弱い》らしい。

 遠藤氏は続ける。 《次に特徴的なのが男女の金メダル獲得数の違いである。》  男子13、女子22と9個も女子が多い。

 これは支那共産党が「小・巧・難・女・少」戦略を採ったからだと言われている。詳細は遠藤氏の文章を読んでいただきたいが、要する「小」規模で、競技人口が「少」ない種目を選び、「巧」な才能を持つ個人を発掘し、個人に困「難」な練習を課し、「女」性選手に目をつけて集中的に育成した。「金メダル」の数を取るということに男も女もない。サッカーや野球などは、そのスポーツ人口を根本から増やしていかなければならず、どうしてもきめの細かいスポーツ行政をしていかなければならない。そんなことをするほど支那の体制は成熟しておらず、てっとり早く数を得て国威発揚につなげることが至上命題なのである。 《「金の数を競う」ことにオリンピックの目的が集中し、その割に中国における「スポーツ」というものに対する浸透度とか憧れとかは薄い》  ここがスポーツ未成熟国家、発展途上国だと言われる理由だ。  

 ソ連崩壊前、ソビエトや東欧共産圏諸国が、大量のメダルを獲得していった。彼らが目指したのは、時間と労力のかかる善政ではなく、てっとり早い国威発揚だった。それと同じことを支那は実行している。おそらくメダル取得を厳命された選手たちにどれほど苛酷な練習と称した地獄が展開していることか。

 と、書いてきたらこんなニュースがあった。

《「金メダルマシン」育てる中国…子どもは泣きながら鉄棒にぶら下がった》 https://news.yahoo.co.jp/articles/b3e44bb7cfb8ff3b74122d270201598639759c4b

中央日報」の記事だから、割り引いて読まなければいけないが、言っていることは、支那ソ連方式を採用し、スポーツの才能のある子供を全土から狩り出して、満足な教育も施さずに、日夜地獄の特訓に明け暮れていることを告発している。

 だから《実際に今回の東京五輪飛び込み女子10m高飛び込みで金メダルを取った14歳の全紅嬋はメダル獲得後のインタビューで母国語である中国語も理解できない姿を見せ物議を醸したりもした。》ということも起きる。

 支那漢民族だけじゃない。漢民族から一等落とされた民族は、それぞれの言語を持ち、地方から子供など集めようものなら、まずは北京語を教育しなければならないのだ。しかし、全選手には、その北京語の教育すら施されず、調教されてきたのだろう。

 国威発揚のために子供たちの人生を犠牲にする、子供たちが能動的に生きることを否定する、そんな体制でオリンピックを実施する?笑わせるんじゃないよ。