嗚呼、芸能界

 今、本の整理をしている。大きなコンテナボックスを3つ用意して、廃棄本、ブックオフ行き、継続して保存用に分けている。そんな作業中に1980年の「スクリーン」1月号が出てきた。すぐに、箱に入れてしまえばいいものを、本好きのワルシャワはついつい中を見てしまう。アホ~。

 なななんと、1月号の記事にはオードリー・ヘップバーンが4カ所も掲載されている。

 まずは「ブラッドライン」という映画紹介で、主演を演じるオードリーの写真が7枚も載っていた。次は「こんなにも多い大物スターの交代劇」という記事。3つめは特集で「世界名作文学と映画」で「戦争と平和」が取り上げられている。そこで2枚のポートレート。4つ目は小森のオバチャマの「スターからおしえられた忘れられぬ言葉」という記事だ。

 これだけオードリーが出てくる雑誌を捨てられますかいな。さっそく保存用のボックスに・・・おいおい、保存用ボックスが5箱目で、それも山積みになっているではあ~りませんか。気がつかなかった。廃棄本の箱にはまだ数冊しか入っていないんですよ(泣)。

 そんなことどうでもいい。「こんなにも多い大物スターの交代劇」の記事の中に興味深いところがあった。オードリーに『遠すぎた橋』(1977年)から出演オファーが掛かったというのである。それをオードリーは断った。記事を引く。

《断った理由は簡単で、オードリーが75万ドルのギャラを要求したのに対して、ウルマン(代役)が受け取ったのは15万ドル》だった。

 つまりその時期のオードリーのギャランティは75万ドル、当時1ドル200円くらいだとして1億5000万円ということになる。『遠すぎた橋』は戦争映画なので女優の出番は少ない。というかワシャの記憶ではウルマンの役割はナレーションだったような気がする。

 おそらく拘束時間といってもごくわずかで、それで1億5000万円を手にするとは、俳優はいい稼業でヤンスね。

 昨日の夜の番組で、豪邸紹介のようなものをやっていて、玄関だけ9畳ある都内の3階建ての白亜の家をアナウンサーが見学していた。大きな車庫にはセンチュリーが停まっているしどの部屋どの部屋も豪華な造りである。リビングに「紅白歌合戦」参加トロフィーが無造作に置かれていたので、「北島三郎」か?「五木ひろし」か?と思わせる。

 そしたらねココリコの遠藤くんのご自宅でした。ふ~ん、遠藤くんくらいの活躍でこんな大豪邸に住めるんだ。芸能人はチャンスがあれば子弟を同じ業界に入れようとするが、これを見ると確かに芸能界というのは「うま味」がありそうで、だから毎年何万という若者がオーディション会場に詰めかけて一攫千金を狙っているんですね。

 ココリコ遠藤であのクラスの生活なら、オードリーはどんなレベルだったんでしょうね。芸能界のステージには金が埋まっている、というのは本当だった。