1979年12月27日のことである。東西冷戦の最中にソ連がアフガニスタン侵攻を開始した。ブレジネフ書記長の裁可である。これがそれまでの社会主義神話を打ち砕いた。それまでハンガリーやチェコにソ連軍を出兵していたが、それはあくまでも共産圏内部の紛争という言い訳がたった。しかし、アフガニスタンは共産圏ではなく、鉄のカーテンの外にある。そこに手を出すことにより、タテマエとしての社会主義がウソであることがばれた。その後、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し、社会主義という壮大な虚構が歴史から消滅したことは説明するまでもないですよね。
平凡社の世界大百科事典(1974年版)ではソビエト(ソヴェト)で、63ページを割いて事細かに社会主義のよいところを説明をしているけれど、絶賛しているコルホーズなんて、まったく出鱈目の政策でどれほどの人民を苦しめたことか。時代は、過ぎ去ってみないと解らない。
今でこそ、ソ連に組み込まれた東側諸国がクソ体制だったことはばればれで、ルーマニアなどは、体操の妖精を生んだけれど、その妖精を手籠めにしようとする独裁者の国だった。ルーマニア共産党書記長、大統領というトップに君臨したチャウセスク。民衆に銃殺されるまでの22年もの間、首領としてルーマニアを支配し、まさに栄耀栄華を堪能していた。
すべてがそうだとは言わないが、少なくとも共産主義は一部の共産党員と人民という二極分化が進み、国家の中枢にいる党員は人民からの搾取に励み私財を蓄えるのだった。
チャウセスクの息子も、国外脱出を図ろうとした。途中で捕まっちゃって刑務所に収監されたけど、おそらくスイスにでも隠し口座を持っていたのかもしれない。うまく逃げ切れればスイスのゲレンデでスキーを楽しんでいたかもね。
さて、平凡社がソ連を絶賛する1974年の時点で、どれほどの地球人がソ連の、社会主義のいかがわしさに気がついていただろう。もちろん賢明な人々、嗅覚の鋭い人はソ連の胡散臭さを嗅ぎ取っていた。しかし、今は滅亡した社会党というこれまたいかがわしい日本の政党の議員なんかは、まだ肩で風を切って闊歩していた時代ですわ。
ワシャは16歳だったけれど、その当時から組織とか体制に組み込まれることが嫌で嫌で仕方のないガキだった。集団行動というやつが苦手でしてね、ソ連の集団農場とかで、「人民みんなで共同作業をして、みんなで一緒に幸福になりましょう」てのが鼻について、ソ連とか共産主義というのにはまったく馴染むことができなかった。
その頃(1970年代)のソ連のいかがわしさと、今の中国共産党の臭みのようなものが、とても類似しているように思う。
支那の報道官は言う。
「ウイグル族はみんな幸福である。チベット族も内モンゴル族も共産党のおかげで幸福である」
その幸福の証拠は鉄のベールの向う側にあり、自由諸国にはなにも伝わってこない。支那共産党のスポークスマンであった朱建栄が「2億人の漢人が敢行に行っているウイグルが平和でないわけがない」と放言して馬脚を露呈したようだが、日本のニュース番組でこういったことを公言する神経はいかばかりであろうか。そしてその場で朱の発言に切り込めないコメンテーターたちの不甲斐なさよ。
ソ連はアフガン侵攻で自滅の道を歩んだ。そのことを中国共産党は「同じ轍は踏むまい」と躍起であろう。しかし、習近平は、支那にとってのアフガンである「香港」を踏んでしまった。
まだ歴史は沈黙しているが、百年後に・・・いやいや20年後には、「やはり香港の祟りがあった」ということになると思いますよ。