《はじめての天声人語》
という広告あった。朝日新聞、恥も外聞もなくよくこんな広告を打てるなぁ(呆)。
《朝日新聞の顔とも言える朝刊1面の名物コラム「天声人語」。紙面に初めて登場したのは1904(明治37)年1月5日で、以来、中断や改題を経ながらも戦後は途切れず毎日掲載。ニュースや旬の話題など「いま」と向き合い、様々なメッセージを送り続けてきました。執筆は論説委員が1人もしくは数人で担当。603文字で世相をうまくとらえながら短くまとめているので、老若男女を問わず読みやすいコラムです。》
確かに昔の「天声人語」は切れ味がよかった。しかし、21世紀入ってからガタガタになっている。メッセージを送るのは勝手だが、それに色がついている。切れ味も悪い。あるイデオロギーに染まっていることを隠して大衆を誘導するならば、それは害毒でしかない。そういった意味では、偏った思想の老若男女には受けているのかもね。
「天声人語の楽しみ方」として、こう指南してくれる。
《「天声人語」の執筆者が大事にしているのは「なるべく新鮮なニュースを題材にする」ということ。取り上げるテーマは「世相」「社会」「政治」「経済」「若者」「戦争」等。1本の「天声人語」で複数のテーマをかけ合わせていることも多いので、思わぬ出会いを楽しんでみてください。》
「なるべく新鮮な・・・」って、2月6日にも書いたけれど、「天声人語」が己の左肩にあった「折々のことば」が休載になったことに触れたのは4日後だった。ネタが腐りまっせ。全体的な傾向として、「天声人語」のネタは古い。
「複数のテーマをかけ合せて・・・」
うんにゃ!おおかたの「天声人語」が単調である。捻りがない。膝を打つような布石もなければ、あっと驚ろくような展開も読んだ記憶がありません。
いくら広告のサイトとはいえ、よく言いますなぁ。
「実際に読んでみよう!」では、架空の読者に《今日の天声人語、素晴らしいです。心が打たれました。》と言わせている。手前味噌の本店か!
そしてオチが笑える。
「今でも名文・文章術が人気」と題して胸を張っている。
《歴代執筆者の中でも名文が多いと言われるのが、1973~75年に担当していた深代惇郎。そして75~88年に担当した辰濃和男は「文章のお手本」とも言えるわかりやすい文章で人気がありました。『深代惇郎の天声人語』や辰濃の著書『文章の書き方』は当時のファンはもちろん、若い世代に今でも親しまれています。》
確かに、深代惇郎と辰濃和男は名コラムニストと讃えていい存在だった。あの頃が「天声人語」黄金期だったな。でもね、1988年以降、その名手に続くのがいないのである。
そして馬脚をあらわしているのが冒頭の「歴代執筆者の中でも名文が多い」と自分で言っている。この名手二人ですら「名文が多い」のであって、すべてが名文ではない。つまらないコラムもあった。名人ですら、クオリティを保つのは大変な努力を要するということだ。
では彼ら以外の有象無象の執筆者はどうかというと、「駄文」が多くて当然なのである。つまりワシャらは1988年以降、下手の駄文ばかりを読まされているのであった。なんまんだぶなんまんだぶ。