晦日に駄コラム

 昨日から年末の書庫の大掃除をしている。いろいろ掘り出されるたびに「なんじゃこりゃ?」となったり、「およよ!こんなところにあったのか」と喜んでしまったりするので遅々として作業が進まない。
 本はすでに我家のキャパを超えている。蔵書数は言わない。言うと「それだけ積んであってもバカはバカなんだ」と呆れられるだけだからね。なにしろ神田あたりの小さな古本屋よりも本があふれている。もうすでに通路も40センチ確保できるかどうか。幼児なら本部屋の中で遭難するかもしれない。ということで、未練が残るが幾許かの本を廃棄することにした。
 でもねぇ……なかなか本は捨てられるものではない。半年ほど前に「えいや!」とブックオフに持っていったことがあるのだが、その時に極めて貴重な本が一冊その中に紛れ込んだのを見逃してしまった。そのことを未だに悔やんでいるのだ。そういうこともある。だから捨てられない。でも蔵書は限界、書庫を増築するなんてことは無理だし、やっぱり廃棄しよう、という堂々巡りの末に「これだけは絶対に要らない」という本を引っ張り出している。

 まず最初に駄コラム集の『天声人語』がぞろぞろと廃棄箱にならんだ。名エッセイストと言われた1970年代後半の深代惇郎の『天声人語』、1980年代の辰濃和男あたりまでは一応読み物として成立していた。しかし論説委員が「天声人語」を評して「日本の活字ジャーナリズム中、抜群の知名度、信用、影響力をもったコラム」とか、己らのことを「たった一人で政治、経済、国際、社会……あらゆる問題を論じる俺たちは天人、超人ともいえる」などと言い出し始めて「天声人語」が死に始める。暇なかたは『朝日新聞天声人語1980夏』(原書房)の松山幸雄論説委員の「はじめに」を読んでくだされ。とんでもなく鼻持ちならないから。このオッサン、「天声人語を書くのはエベレスト登頂を夢見るようだった」という。おいおい、こんな駄文がエベレストかい。
 この本の4月1日の「天声人語」が「毎日が四月馬鹿」というお題で800字のエベレストを書いておられる。前段がアメリカなどで見られる四月馬鹿の嘘映像の話。中段が「四月馬鹿の各国の言い替え」、そして後段は直近の政治家や財界人の嘘をならべて、締めは『徒然草』から「嘘」についての段を持ってきて一本終了となる。手軽なエベレストだ。
 2002年夏の4月12日の「天声人語」は驚愕するほどにひどい。社内では「超人」と呼ばれる書き手がエベレストではなく東京タワーに登ってしまった。書き出しは《思い立って東京タワーに上ってみた。》そして《自慢にはならないが、塔というものにはあまり上ったことがない。》という。うん、まったく自慢にならない。といいながらも「ラスベガスの偽エッフェル塔に上った」とか「上海ではテレビ塔に途中まで上った」とつなぎながら、中段は東京タワーの展望台から見える足元の景色の解説。後段は大阪の通天閣に思いを馳せて、そこにも「上ってみよう」で終わっている。小学生の旅行記でももう少しまともな文章を書くぞ。

 そして今日の「エベレストのコラム」も臭いねぇ。冒頭に愚相宮澤喜一の言を持ってきている。
《「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」》
 ここを読んだだけで後のコラムが想像できる。おそらく緊張を増している米朝関係の話で、ミサイルとか核のことに言及し、「平和がいいよね」という結びになるだろう。そう思っていたらそうなった。笑える。これがエベレストかい。三ヶ根山(うちの近所にある300mほどの山)より低そうだ。

 いかんいかん。捨てるつもりで廃棄箱に入れておいたのを引っ張り出してきて、ワシャのまわりに何冊かが拡がって、日記を書くついでに読みはじめてしまった。駄コラムは駄コラムなりに「駄」なところがおもしろい。そういう意味ではこの駄コラム集は捨てづらいと思いはじめている。また今日も片付かないなぁ(トホホ)。