昨日の「産經抄」が司馬遼太郎から書き起こしている。『余話として』(文春文庫)の中から「日本人の顔」というエッセーを拾い出して、ひとくさり語っている。
「起」として、司馬の文章を引いて《面長な人には頑固なひとが多いことに気づいた》とし、こう続ける。
《「創業者の信長は馬面で、秀吉は逆三角形、家康はポチャポチャの丸顔」と言われればなるほどと思う。》
コラムの半ばまでは司馬エッセーだけで書いている。やや手抜きと言っていい。
ちょうど半分くらいから「菅義偉首相」の丸顔について話を展開するのだが、それにしては前置きがやや長い。ここでコラム氏、菅氏の丸顔を調整タイプの家康、伊藤博文などと同類とし、《指導者は調整型といっても揺るがぬ信念があればこそ、信頼も得られるだろう》と言っている。このあたりは腐すだけの「天声人語」とは一線を画している。
そしてコラムは序破急の「急」に入る。そこで突然、安倍晋三氏の靖国参拝の話になる。ここの継ぎ方は下手だな。
《ご英霊に首相退任を報告したという。靖国の社頭には戦死者らの遺書、辞世の書が月替わりで・・・》
コラムは最終局面で、司馬さんの「顔論」とはまったく別の話になっている。で、結びは《22日は秋分の日。「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日である》である。
ううむ、「天声人語」の劣化が著しいが、「産經抄」も例外ではなかったか。
昨日の、その「天声人語」である。テーマは「ソーシャルディスタンス」。もちろんこっちも大したコラムではない。天声人語氏が《オンライン会議が増えて困っている》として《ネット上での医師の疎通はなんとも難しい》と嘆く。結びは俵万智さんの歌を持ってきて、人との距離感を測るのが難しいということを述べる。結びは《4連休明けの空を見上げて、深呼吸》とあるが、これでは、このコラムらしきものが明らかに前日とか前々日に書いたものではないとばれてしまう(笑)。雨天・曇天ではさすがに空を見上げて深呼吸はしたくなかろう。実際にコラム氏がしたかもしれないが、少なくとも深呼吸したくなるような空は秋晴れでなくっちゃぁね。ここ数日、東京は雨か曇りだった。
そろそろ石井英夫か深代惇郎が出てこないか。