井戸の茶碗と武士道

井戸の茶碗」という噺は、善人ばかりが出てくる清々しい落語である。主人公は正直清兵衛とあだなされるくず屋で、そこに落剝はしているが武士の鑑のような千代田卜斎と、細川家の家臣で、爽やかな若侍の高木作左衛門が絡んでくる。

 たまたま、清兵衛が卜斎から200文の古びた仏像を買い、それを作左衛門に売った。作左衛門が仏像を洗っていると、その体内から50両が出てきたことから騒動が巻き起こる。

 作左衛門は「仏像は買ったが、中の50両まで買った覚えはない。売られた方に返すのが当然」と、清兵衛に返却を依頼する。

 ところが卜斎は「仏像の中に50両があったとしても、すでに200文で売ったものである。所有権は買われた方にある」と断固として受け取らない。

 すったもんだの挙句、20両、20両を卜斎と作左衛門が取り、10両を清兵衛がもらうことで治まった。ただし、20両を「ただ貰うわけにはいかない」ということで、卜斎が使っている小汚い茶碗を作左衛門に譲る。

 ところがところが、その小汚い茶碗が「青井戸」という名品で、細川侯が300両でご購入と相成ったから、またまた騒動が大きくなる。

 

 噺はまだまだ続くのだが、それはさておき卜斎と作左衛門という武士のことである。科学者の武田邦彦さんがこんな説を唱えていた。「士農工商」という身分制度は下から金がついて回り、一番上の「士」が金から一番縁遠かったというのである。必ずしもそうではないと思うが、少なくとも「井戸の茶碗」に出てくる卜斎は極貧である。若侍の作左衛門にしてもそれほど裕福ではあるまい。しかし、金への執着ということでいえば、これほど金から距離を置く人間も珍しい。ゼニカネのためなら国さえ売ろうという商人や政治家が跋扈する現代で考えれば、ありえないような善人ということになるだろう。

 しかし、江戸期、いや明治の時代でも、卜斎、作左衛門のような武士は数多存在した。そもそもゼニカネより重い命を羽毛より軽いものとして、己の名誉のためにさっさと捨ててしまう価値観をもっていたのだ。

 幕末の頃、高杉晋作が将軍暗殺の計画を練っていた。とはいえどちらかというと仲間の結束を促すためのスローガンのようなもので、高杉に実行する腹はなかったと見ている。それが高杉と同様に討幕を是とする侍の中に噂として伝わって、一人の老武士が「老い先短いこの身を将軍暗殺という大事業に賭けてみよう」と思い立ち、高杉が酒盛りをしている宿舎の門を叩いた。

 しかし、そもそも仲間を鼓舞するための発言なので、実行する気はそもそもなく、だから体よく追い返すために、「申し訳ないがこの暗殺計画は長州藩の同志でやる。だから貴殿の申し出は受けられない」と断ってしまった。

 老武士、「相分かった」と引き下がり、「己の希望が叶えられないのなら」と、玄関先で立ち腹を切って死んだ。

 幕末の動乱期だからというエピソードではない。日本全国で、帳簿の間違いや、その他のささいな疑念を晴らすために、武士は、誇りと引き換えにいとも簡単に命を捨てた。

 

 志の輔の演じる2人の武士は、どの落語家の演った卜斎、作左衛門よりも頑固な武士(もののふ)だった。これほどの侍を見たことがない。しかし、観客は「きっとあの時代には卜斎や作左衛門はいたんだろう」と、自らの不甲斐なさと比較して、その生きざまに感動するのであろう。少なくともワシャはそうである。

 あ~おもしろかった。