落語会

 地元で落語会。お寺の本堂を借りて年に4回開催される。その内の3回が江戸落語で、こちらは瀧川鯉昇が仕切る。1年に1回だけ、上方落語になるのだが、上方の世話人は桂文也が務める。
 今回は上方落語で、文也師匠が、露の新治、桂米紫(べいし)、露の眞(まこと)らを率いてやってきた。
 上方落語に階級はない。江戸でいえば前座、二つ目、真打と三階級あるのだが、そのあたりの区分けはないのが特徴だ。27歳の露の眞が羽織を着ずに座布団返しやめくりをやっているので、前座に相当するんでしょうな。ショートカットのぽっちゃりした男の子、と思いきや、本名山崎亜弥ちゃんという女性だった。見た感じは森三中のムーさんかなぁ。でもね、表情や声音が男の子っぽいんで、女流とはいえ違和感がない。入門して6年になるらしいが、落語もそれなりにこなれている。ビジュアルに女が出ていないところがいい。ワシャが聴いた女流の中でもおもしろいほうに入りましたぞ。演目は「強情灸」。
 次がベテランの露の新治。演目は「井戸の茶碗」である。本来の舞台は、江戸は芝の西応寺門前裏長屋と白金の細川家中屋敷となる。武士の町だった江戸だから、正直な武士同士の人情話が成立すると思っていた。これが上方落語になると、武士の存在が薄くなって、町人が幅を利かせてくる。そもそも武士の数が目立つほどいない町で、正直な武士というものが尊敬されたのだろうか。
「仏像の胎内から五十両が出てきたって?もろときなはれ。なんならわいがもらっときまひょか」てな具合で話が成立しないと思っていた。
 しかし、新治は、浪人千代田卜斎、細川藩士高木作左衛門、クズ屋清兵衛などを巧妙に演じ分け、移動のところなどは、みごとなカットをして、よどみなく物語を進めていく。花粉症かもしれないが卜斎の娘の嫁入りが決まった時にはついほろりとしてしまいましたぞ。
 中入りで、毎度のことなのだが、出演者のサイン入り色紙の抽選会が行われる。ワシャは、この落語会には足しげく通っているのだが、未だに一度も貰ったことがない。でもね、昨日は当たりました。「306番」で見事にゲット。このとこと気分の悪いことばかり続いていたから、神様がほんの少し気を使ってくれたのかなぁ(笑)。
 中入り後、40歳の桂米紫が「厩火事」をかける。ごつい顔をしているのだが、女を演じさせるとなかなか上手い。期待できそうな若手である。
 そしてトリは文也である。ネタは「親子茶屋」。これは上方落語の茶屋物の一つで、途中にお囃子や清元が入って、そりゃあもう陽気なこと。
♪〜きみに逢う夜はな〜誰しら髭の森こえて〜待乳の山と庵崎の〜♪
 文也、賑やかなお茶屋遊びを一人で演じきってしまう。お茶屋遊びの定番の「狐釣り」を再現する。
♪〜釣ろよ釣ろよ。信田の森の、狐を釣ろよ〜やっつくやっつくやっつくな〜♪
 このざれ唄の中に出てくる「信田の森」が、歌舞伎「蘆屋道満大内鑑」に出てくる安倍清明の母、信田の狐葛の葉に由っている。元は文楽であって、歌舞伎になり、落語の中にもエッセンスが入り込んでいるわけだ。
 そうそう、江戸落語の「井戸の茶碗」だが、新治の演出の中に、仏の胎蔵から五十両の包みが出てきて、それを破るシーンで「封印切り」のたとえが出た。これなんかも、上方歌舞伎の「封印切り」を観ているとリアルにそのシーンがイメージできる。ここは、江戸の匂いを消す作用もあって、おもしろい趣向が凝らされている。
 伝統芸能は、入りこめば入りこむほど、それぞれがつながっていき、幅も奥行きも広がっていく。楽しいなぁ。