シンドラーの時代

 1993年の映画「シンドラーのリスト

https://eiga.com/movie/45728/

が、昨日BSで放映されていた。日中だったので録画をして観たんだけど、それこそどうだろう。20年ぶりだった。そして歳月が経っても名作は名作だった。スピルバーグの珠玉の作品は27年の時が過ぎても、まったく色褪せていない。この作品、観た方はご存じだと思うが、狩り立てられていくユダヤ人が裸にされるシーンがある。ここがまったく無修正で、陰部、陰毛、性器がそのまま映し出されていく。昨日のNHKBSでも同様で、男たちの萎えた性器、女たちの乳房、陰毛など遠慮なく目の当たりにされている。映画はラストの現在の風景以外はすべてモノクロ(一人の少女を除き)で、しかしそれが実に美しい。アカデミー作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、編集賞と総なめとなった。

 

 おっと、今朝は映画の話をしたいのではない。「民族の迫害」について語りたいのである。ユダヤ人の悲惨さは、まさに「シンドラーのリスト」の中に凝縮されているわけだが、おそらく現実は映画では描き切れないほど悲惨で残酷であったろう。

 日本という極東の父祖のおかげで平和な島国に生きるワシャらにはまったく想像だにできない地獄がそこにはある。先の大戦で、日本人は300万の同朋を失った。空襲という卑劣極まりない殺戮方法で命を失った国民も多かったが、戦闘の中で死んでいった兵士も数多存在する。

 しかし、強制収容所ユダヤ人の死は、少なくとも家族を助けるために命をはった3月10日の東京市民や、零戦に搭乗して敵艦に突っ込んでいく航空兵の「俺の死が父母、妻、子供、国民のためになるんだ」という一縷の希望すら許されない絶望の屠殺と言っていい。人間の尊厳をここまで貶めたナチスドイツのユダヤ人虐殺を人類は許すことはないだろう。

 

 実は80年前のホロコーストの話もメインではない。ここからが本題なのだが、「シンドラーのリスト」を観て、ユダヤ人の悲惨な時代に憤るのもいいし、それを助けたシンドラーというドイツ人商人に感動するのもいい。

 それはそれとして、現在もホロコーストが続いていることだけは忘れないでほしい。

 中国共産党ウイグルで、チベットで、内モンゴルで、実行している民族浄化である。毛沢東という狂気の独裁者が2000万人の同朋を殺戮した。その延長上で、今、いくつもの民族を抹殺しようとしている。いいですか、ヒトラーナチスとは桁の違う人間を抹殺し続ける独裁党が、支那共産党というおぞましい集団なのである。

 ヒトラーですら、人間の臓器を生きたまま取り出して売買するなどということはしなかった。それを昂然とやっている集団が中国共産党なのである。「違う」というなら、国際機関の査察でもなんでも入れればいい。世界の報道機関にウイグルの収容所を取材させればいい。

 潔白を証明してから偉そうなことを言え。

 

 シンドラーが直面した人類の汚点は、支那大陸でその黒々とした染みを広げつつ、さらに残酷で、悲惨なものに深化している。人類はこの大汚点をなんとかしなければならないが、唯一、アメリカのシンドラーに成り得たトランプ大統領は、支那の金にどっぷりと浸かったボケ老人に取って代わられようとしている。現在のシンドラーのリストを誰が作成し、消されようとしている民族を誰が救えるというのか?

 我が日本国は、残念ながら首相が親中派の巨魁とルールを破って主席を共にしているようでは、とてもじゃないがウイグルチベット内モンゴル、そして香港の周庭さんたちをすくい出す根性もなければ気力もあるまい(泣)。

 

 もうひとつだけ言っておく。第二次世界大戦中に大日本帝国は、同盟国のドイツに逆らって国策としてユダヤ人を救出している。杉原千畝ばかりではないのだ。国を挙げてユダヤ人を助けようとしたのである。

 そんな国が、なんで大虐殺を未だにやっている独裁党に「南京で日本人はひどいことをしたあるよ!」と嘯かれなければならないのか?

 まったく逆だろう。菅首相、寝ているんじゃないぞ!