一冊の本から

 昨日の昼、食後に本を買いに駅前のいつもの本屋に顔を出す。呉智英さんのコラムが載っている「週刊ポスト」を求めるためにね。もちろんそれだけでは済まない。いろいろ物色をして4冊を購入する。

 その内の1冊が『占領期の名古屋』(風媒社)であった。この本、77年前の戦後の名古屋を写した写真を500枚載せていて、内容もなかなか興味深い。

 昭和201028日、進駐軍の主力本体が名古屋港に上陸を開始する。30日までの3日間で4万人の米兵が名古屋市内に進駐した。事実として、それほどの米兵が名古屋だけに来ていることは少々驚きだった。イメージとしては、それほど多くないと思っていたからである。これが全国の主要都市に進駐となると、かなりの米兵が日本の地を踏んだ。

 細かく写真の論評はしないが、ひとつ印象的だったのが、米兵と日本人が一緒に写り込む写真が幾葉かあったことである。そのどれもが自然なスナップ写真で、日米に関係なく、そこにいる人たちは普通の表情を浮かべている。

 例えば、栄町交差点で、露店で品物を手に取って眺める進駐軍兵士と、その周りにいる日本人。誰もが普通の街角に入る屈託のない表情を見せている。

「中村遊郭」を歩く進駐軍兵士のほのぼのとした顔、そこに写り込んでいる名古屋人の普通の顔。

 他のどの写真も同様で、撮影者の後藤敬一郎が純粋にスナップ写真として撮ったものであり、そこに登場する日本人もアメリカ人も、どの顔もが優しげである。

 

 なにを言いたいか!

 日本に進駐してきたのがアメリカ軍だからこういった終戦直後の写真が残った。これが中国軍だったらどうであろう。当時は、蒋介石の私軍だった。かれらが、台湾に渡ってなにをしたか?台湾人を虐殺し、徹底的に搾取をして、苦しめたのは李登輝元総統の手記にも生々しい。

 それどころか、支那共産党が日本に進駐してきたことを考えてみなさいよ。露店の品物を笑顔で眺めるなんて悠長なことはしませんぜ。根こそぎ盗っていくのがあたりまえ。そこに立っている若い婦人は連れ去られて強姦の憂き目にあう。それでも生きて帰れば運のいい方だ。

 ワシャはこのところの日本政府の手ぬるい対支那外交を不快に思っているものである。二階幹事長がその癌の核なのだが、とにかくアメリカと支那共産党を同列で扱うことの危険性を政治家は認識したほうがいい。支那は、占領した沖縄を変換してくれるような優しいあまい体制ではない。沖縄の髄の髄までしゃぶりつくし、言語を奪われ、文化を奪われ、女子を奪われ・・・それは明日の沖縄だけではない。来月には日本の運命になり、その後の写真には横暴な支那人と苦痛に満ちた名古屋人の顔が逸り込んだ写真集が出版・・・・・・されないか。そんな自由を日本人に共産党が与えてくれるわけがない。

 目を醒ませ、親中派のボケどもよ!