だらだらと、すっぱりと

 下記はBBCのニュースである。

《日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小》

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-48146846-bbc-int

 昨日の続きのような話になってしまうので、さっさと切り上げたい。

4月末に「天皇制反対派」の老人たちがどこかの公園に集まって「天皇の戦争責任を忘れるな」とシュプレヒコールを上げたんだとさ。

 記事は長いので読むまでもないですが、要するに「天皇の名の下に日本が1930年代から1940年代にかけて戦った戦争を償うには、天皇制を廃止するしかないという主張」をする老人たちがでも行進をしたということ。

 いろいろな主張をすることは自由だ。しかし勉強を怠ってはいけない。十年一日のごとく叫んできたことが本当に正しいのか、そのことは日々検証していかなければいけない。昭和天皇に戦争責任があるとするならば、どこにどのような責任があったのか、仲間だけでマスターベーションをしあっているのではなく、あなたたちと意見の違う人間とも議論をするべきだ。そして皇室を敬している人たちを論破すればいい。しかしこの手の人たちは絶対にそういうことを避ける。そもそも勝てないからね。だから悠仁殿下への卑怯な直接的行動を起こしたりする。

 これは、沖縄の基地問題でも言えることで、奴らは自分たちの要求が通らないと、すぐに道路を封鎖したり、暴力に訴えたり、工事関係者や無抵抗の警察官を写真撮影したり、個人名を挙げて脅したりする。こういった左翼が高齢化しているという。結局、1960年代に洗脳されたものが、半世紀を経ても、牛の小便のようにだらだらと続いているんだね。ある意味で悲劇だ。

 

 こんな話ばかりでは切ないので、ワシャ的に楽しい話をひとつ。

 曽野綾子さんのエッセイ集『自分の財産』(産経新聞社)に、歌舞伎の「勧進帳」の話があった。曽野さんは「勧進帳」を歌舞伎団位置の名脚本と認め絶賛している。ワシャも「勧進帳」が好きで、團十郎猿之助幸四郎など多くを観て、そして感動してきた。それはこの話が勇気ある強い男たちの優しい思いやりのドラマであるからだ。そのあたりを曽野さんの文章から引く。

《十分に人を疑うことのできる甘くない富樫が見抜いたのは、弁慶の侠気(おとこぎ)である。ただ騙されるのではない。富樫は、弁慶の忠誠の前に、男として騙されてやったのだ。そして弁慶は、素知らぬ顔で去っていく富樫の後ろ姿に向かって、深々と頭を下げる。》

 騙す方と騙される方、その双方が全てを知りつつも、その瞬間の男の美学で一致している。ああ、また「勧進帳」が観たいなぁ。