多文化共生という欺瞞(1)

 西三河の農業地域。集落の端で、車一台が通れるだけの細い一本道がある。要はかつての農道で、都市化とともにそのまま周辺が開発され、道の両側には住宅やアパートが連担しているようなところ。車に出くわしたりすることはめったになく、時々、犬の散歩をする人を見かけるくらいだ。

 それが昨日の昼、所用をすませてから、その件の農道を自転車で通りかかった。そうしたらね、めずらしく前から小型の乗用車がこっちに向かってくるではないか。すれ違う時に接触でもすると嫌だから、路肩でやり過ごそうとしたら、車のほうが前方で停車した。そしてどやどやと黒い男たちが3人降りてくる。色は黒かったが黒人ではなく、南アジア系の顔立ちをした体格のいい男たちが、道を塞ぐように立ちはだかり、なにごとかを話している。

 自転車1台が通れないこともないが、狭い道に、大きな男が3人、それも褐色の外人だ。かなりのプレッシャーですぞ。

 ワシャは昔ヤンチャだった男だが、それでもその横を接触せんばかりに通過するのはちょいと緊張しますぞ。男たちはワシャを視認しても、特段に動くことはなく、「%※◎&@▲□×@●◇」と話を続けている。ワシャは少しスピードを緩めて男たちの背後を通り過ぎた。でもね、これ女性だとちょっと恐いんじゃないかな?

 多文化共生はけっこうだけれども、別の文化が生のまま入ってこられて、そこで日本人と生活圏を供用するというのは、どうなんだろう。

 少なくとも日本語は話せるようにするとか、「傘かしげ」くらいの文化は覚えておくとかしないと、必ずや軋轢が生じ、それがすべて数の多いほうの責任に転嫁されるのはあきらかにおかしい。