多文化共生という欺瞞(3)

《「暴力団も恐れる」チャイニーズドラゴン 100人規模“出所祝い”はフランス料理店 大乱闘に「やりたい放題」だが  あのマル暴が・・・》

https://news.yahoo.co.jp/articles/04b42d986f02e1570079b154fd204ea6bce1d742

 東京・池袋で支那人の犯罪者どもが大乱闘をしたんだとさ。

 もう随分前の話だが、それこそ20年前か・・・仕事で池袋西口のビジネスホテルに宿泊した。そうしたらね、ワシャの泊まっているフロアで支那人が乱痴気騒ぎをしていた。それぞれの部屋のドアを開けて、廊下を宴会場にして。

 フロントに電話をして苦情を伝えるのだが、これもカタコトの日本語しか話せない支那人っぽいヤツで、ちっとも埒があかない。

 仕方がないんで、「こらぁテメエら夜中に大騒ぎをしているんじゃねーぞ!」とドアを開けて、波動砲を廊下の支那人にぶちかましてやった。こっちも酔っていたし、複数の仲間が一緒に泊まっていたことも背中を押してくれた。

 それで廊下の大騒ぎは収束したのだが、あれがチャイニーズドラゴンだったら、ワシャはボコボコにされていたでしょうね。

 あの頃から池袋の西側は支那人が多くなってきて、おそらくその後のチャイニーズマフィアの勃興を支えてきたんでしょう。今や、サンシャイン60で堂々と出所祝いをし、その上、暴力事件まで起こすほど増長しているのである。

 もちろん、ワシャは東京へ行っても、池袋には泊まらない。廊下で騒ぐ人間に黙っていられるほど大人じゃないんでね。いい歳こいたオッサンが東京湾に浮かびましたでは、シャレにならない。

 さて、田舎に目を転じてみよう。

 某県某市の役所である。福祉関係、税務関係などの窓口は外国人ばかりである。待合ではほぼ日本語は話されておらず、支那語タガログ語ベトナム語ポルトガル語ミャンマーやタイの言葉の入り混じっている。10月に入って少し肌寒くなってきたが、ランニングで刺青の入った肩を見せているニーチャン、でっぷりと肥えた腹出しネーチャンなどが喧しい。

 色の濃いアーリア系の男が、禁煙の場所で煙草を吸い、その吸殻をそのまま捨てていく。

 エレベーターの中では、だらしのない格好、だらしのない体型のネーチャンがすんげー臭いの強い香水だかを振り撒いていて、ワシャは嘔吐(えず)いたほどだ。今もこのフレーズを書いていて、その臭いを思い出した「ゲッ」となってしまった。

 外国人といっても善良な連中ばかりではない。というか文化や歴史、民族性を考えると日本人のように大人しく従順で控えめな人種は他にはないと言ってもいいだろう。

 もちろんワシャみたく性格の悪い日本人もいるが、全体の傾向としてそうだと言っている。

 岸田も経済界も、この穏やかな風景の中に外国人をどんどんと移住させようとしている。これは間違いなく移民政策なのだ。とにかく外から来る他民族は、日本人ではないということをまず知ろう。外国人が日本人と同じ価値観を持っているなどと思うこと自体が間違っている。そもそも日本人と支那人はまったく別物だし、日本人は公衆の面前、道路の植え込みでウンコはしない。 「人類はみな兄弟、家族」なんて言っているヤツは現実を見ていないんじゃないの?現金の入った財布を落として、そのまま帰ってくるのは日本だけですぞ。

 まぁ最近は、外国人のたむろしている駐輪場で自転車の籠に入れていたカッパや傘が無くなりますけどね。 「多文化共生」などというおどろおどろしい言葉も出てきたけれども、日本文化というのは、サミュエル・P・ハンティントンの『文明の衝突』でも言われているように、日本一国だけが特異な文明形態を持っているのである。2000年にわたって他の文明に蹂躙されてこなかった、ある意味で純粋な民族性を有している。世界の文明とは違うのだという前提に立って考えてほしい。

「でも世界基準で混ぜちゃえばいいよ」と言ってしまえば日本という文明は終わる。なにしろ日本で「多文化共生」は無理なのだ。