本を読め

 今年の2月9日の日記でも藤原正彦さんについて書いている。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2020/02/09/075617

 そこで《赤ん坊の時の藤原さんは司馬遼太郎のエッセイにも登場してくる。》ことを紹介した。司馬遼太郎『以下、無用のことながら』(文藝春秋)に「本の話――新田次郎氏のことども」と題した文章が載っている。このエッセイ、新田次郎氏にまつわるエピソードを連ねながらも、結局のところ「読書のすすめ」ということになろうか。

 

 司馬さんは、藤原正彦さんが赤ちゃんだったときのことどもをこう書く。

《うまれたばかりの赤ちゃんが、母乳を吸う話である。力づよく吸う。誕生早々の赤ちゃんの口唇や舌にそれほど強い筋肉があるものかどうか、当時の新田さんは――おそらく新京(長春)時代――疑問をもたれた。ふと仮説をたて、ひょっとすると赤ちゃんは自分の舌で乳房の乳頭を巻き、真空(バキユウム)をつくっているのではないかということなのである。》

 赤ちゃんが藤原正彦さんで、それを研究対象として見ている新田氏がいて、そのことを半ば藤原さんをからかうような視点で見つめる司馬さんがいる。なんと豪華なエッセイではないか。わずか3000字ほどのエッセイなんですよ。にも関わらず、藤原さんの母上である藤原ていさんも顔を出している。親子の三人揃い踏みが壮観であり、そのお三人の書かれた小説、エッセイ、体験記のどれものファンなのであった。

 司馬さんは、新田氏の赤ちゃんの著書『遥かなるケンブリッジ』(新潮社)を70歳の自分が読んだことをこう記している。

《この偶会のよろこびは、世にながくいることの余禄の一つである。同時に、本のありがたさの一つでもある。》

 エッセイの末尾をこう締めている。

《数奇というのは、読書以外にありうるかどうか。》

 

 司馬さんも、藤原さんも、まともな人は「本を読め」と言う。どうやらこれだけは間違いなさそうだな。